CDLマガジン
MAGAZINE
vol. 044
profile
蔵元 茂志
ライター
社長の別荘に避難してから数日の間、それまでの過酷な避難所生活が嘘のように平和な時間を過ごした。
でもそれは長くは続かなくて、なぜだか理由は忘れてしまったけど、茂志たちは再び被災地に戻ることになった。その間、わずか二・三日だったと思う。
壊れかけのアパートに着くと…ん?中に誰かいる!もしかして泥棒?と思ったら なんと福岡にいるはずの兄貴だった!
後で分かったことだけど、茂志が社長の別荘に移動したことで消息不明になり、家族や親戚が大騒ぎしていたらしかった。
そのことに業を煮やした兄貴は、当時住んでいた福岡から神戸まで車をとばして茂志を探しにきてくれたのだった。しかも家族に心配かけないようにと誰にも内緒で!
まるでドラマみたいな、でもほんとの話。今のように携帯もカーナビもない時代、
あの震災の大混乱の中を地図だけでよくたどりつけたもんだと思う。
そんなこんなで、無事に三股の実家に帰り着いたのはたぶん震災が起きてから五・六日後の明け方だった。当然家族や親戚、近所の人たちは大喜びで迎えてくれて、茂志も素直に嬉しかった。
テレビではどのチャンネルも四六時中震災のニュースが流れてた。
日に日に増えていく死者の数、奇跡的に救助された人、生きているのに助け出せずに火事で焼け死んでしまった人、瓦礫に圧迫されて足を切断しなければいけなかった人 、寒さに耐えながら過酷な避難生活を送っている人…。
そんなニュースにさらされているうちに、茂志の心に異変がおきはじめた。
つい数日前まであの惨状にいた自分…今遠く離れた場所で他人事のようにテレビをみている自分…
ほんとにこれでよかった?ずるい?しかたがなかった?被災地にもどる?今の自分になにができる?……
今となっては意味不明な罪悪感みたいなものと当時は人知れず戦った。
2011年に東北で起きた大震災の時もテレビの向うの被災者から同じような声がちらほら聞こえた。
それが大きな災害に遭った被災者特有の心の病だったらしいと言うことをつい最近になって知った。