CDLマガジン
MAGAZINE
vol. 078
profile
コミュラボ
ライター
「振り返れば僕の人生は奇跡のようなことがたくさんあった」
こう話すのは、オープンして間もない2dog kitchenの店主・津崎 忠文(つざき ただふみ)さん。
津崎さんは、フリーランスのグラフィックデザイナーとして、東京で長年活躍されていました。
現在は、学習支援や子ども食堂など10以上もの活動に精力的に関わり、フードロスランナーとしても活動する、コミュラボの活動には欠かせないプレイヤーの1人です。
先日の2dog kitchenの取材の際、思いがけず人生や子どもたちの教育など、津崎さんと深い話になり…
今回は、そんな津崎さんの人生に触れながら、その時の対話を少しだけお届けします。
津崎さんの子ども時代は、ご両親のお仕事の都合で、宮崎県内の学校を転々としていたとのこと。
それから、教員を目指し大学へ進学。しかし、そこで自分の人生に疑問を感じたと話します。
「学校の先生になるはずだったんだけど、なんだか自分の人生の先が見えるような気がしてね。そんなとき、週刊誌に載っていたイラストレーターの絵を見て、知らない世界があることにとても興味を持った。すぐに母親に電話をして、東京に行くと伝えました。父親が国家公務員で、判で押したように同じような毎日を過ごす姿を見て、そんな人生は自分には合わないなと感じたんです」
専門知識のない中、上京した津崎さん。普通なら不安になってしまいそうですが、未経験の中でも、絵を描く仕事をしたいとひたすら周りに言っていると、知人の紹介で出版社に入社することに成功。
雑誌の取材や撮影、ライティングなど、編集の仕事を一通り経験し、フリーランスのグラフィックデザイナーとして独立されました。
「毎日新しく、自由でとても面白い世界でした。父親のようになりたくないと思って飛び込んだ世界だけど、ある程度年齢を重ねると、同じことを継続していくことは、本当にすごいことだなと実感します」
今思うと人や環境にとても恵まれていたと話す津崎さんですが、教師という道が合わないと感じてからの行動力はさすがです。
東京の面白い世界でバリバリ働いていた津崎さんが、現在こうして地域活動に取り組んでいるのはどんな背景があったのでしょうか?
「私がまだ小さかった頃、母親がホームレスの親子を家に招いて、ご飯を食べさせたりしていたんです。当時、まだ子どもだった私はいやだったんだけど、歳をとるにつれ、人は1人で生きているわけじゃないことを感じるようになり、母の考えが理解できるようになりました」
さらに、災害ボランティアでの経験も津崎さんに大きな影響を与えたと言います( “津崎忠文の3.11” 記事一覧はこちら)。
「私は阪神淡路大震災の時も東日本大震災の時にも被災地ボランティアに行っていました。人の幸不幸は誰にもわからない。だから、自分に余裕があるなら誰かのためにやっていこうと思ったんですね。課題に気づいているのに見てみぬふりをするのは、自分の中にいつまでも残っちゃうからね」
そんな想いで地域に関わってくれる津崎さんだからこそ、いろんな方面から自然と声がかかるのでしょう。体が一つでは足りないのではないかと心配になる程ですが、今の三股町での地域活動については、どう感じていらっしゃるのでしょうか?
「三股の活動は、かるーい感じでやってみようって始まっていくんだけど、僕は基本断ることはしない。それで仲間が増えたり、活動が広がっていったり。面白い展開が待っているから、人生の中で今が一番面白いよ。何が面白いって、周りに仲間がいて一緒にやれることが嬉しい。仲間はほとんど年下で、こんなおじいちゃんでも仲間として迎えてくれるというのはありがたいなと思うよ」
津崎さんは、簡単そうに話しますが、やろうと思っても誰もが実行できることではありません。
それだけ、津崎さん自身も自分の人生や社会課題と向き合ってきたからこそ、今の活動に繋がっているのかもれないなと感じます。
それから話題は、子どもたちの将来や教育の話へ。
東京での仕事を辞め、三股に戻って子どもたちの支援に関わる中、今の教育や子どもたちを取り巻く状況に危機感を感じていると津崎さんは言います。
「若い人や子どもたちは地域にとっての希望です。しかし、最近では、学校に適応できない子も増えてきている。適応できない子は、どうしても置き去りにされてしまうんですよね。一方で、適応できた子どもたちも、もしかしたら置いていかれないようにうまく大人の言うことに自分を合わせて、誤魔化しているだけかもしれない。学校も排除しようとしているわけではないと思うんだけど、一度置いていかれると戻ることは難しくなっちゃうよね」
多様性の尊重が叫ばれる一方で、まだまだ画一的な教育の矛盾した側面もある中、そういう子どもたちに私たち大人はどう接したらいいのでしょうか?
子どもたちは、大人が思っているよりもずっと自分の将来についても考えていると津崎さんは話します。
「彼らも自分なりに将来を考えているんです。だけど、その考えを大人がきいた時、どういう関わりをするのかが大切だと思います。干渉しすぎても、無関心すぎても良くない。子どもたち自身が、感じている疑問や違和感などを自分で考え、自分なりの答えが出せるような関わりが必要なのかなと感じます」
津崎さんの言葉からは、ただ楽しいというだけではなく、その活動の裏には「なんとかせんといかん」という危機感を強く抱いていることが感じられました。
転校を繰り返す学生時代を過ごし、20代で自分のやりたいことを見つけて、走り続けてきた津崎さん。そんな津崎さんでも、心にぽっかり隙間があったり、どうしようもない孤独感に襲われたりした時期もあったと言います。
「孤独を感じると、人は考え方や物事の捉え方がどうしてもネガティブになり、良い面に気づかなくなる。だからこそ、居場所って大事なのかなと感じます。もし人生に迷った時には、一生懸命もがけばいいと思う。何者かになろうとせず、こう生きていきたいというものを自分の中に持っているとなんとかなるものだよ。自分の心の安定を一番に考えて、一つずつ一生懸命やっていれば、必ず道は開けるからね」
お話を伺いながら、なんだか心の迷いを見透かされているような。でも、それでいいんだよと言ってくれているような。この先不安もあるけど、このままもう少し進んでみようかと、そんな気持ちにさせてくれる時間でした。
どれくらい話し込んでいたでしょうか。夕方に差し掛かり、最後に津崎さんのこれからについて伺ってみました。
「僕の人生は、振り返れば奇跡のようなことがたくさんあった。自分で決めたんじゃない、何かに決めさせられたような。今考えると、なるべくしてこうなったのだと感じています。これからも自分が必要とされるのであれば、使ってちょうだいと思っていますが、最終的にこういう活動は80歳までって決めている。後を継いでくれる仲間がいるからね。そうしたら、ずっと後回しになっていた水彩画をやりたい。人生ってどこでどうなるかわからないからこそ、悔いを残さないために一瞬一瞬、自分がやれることを一つずつやっていきたい」
現在74歳の津崎さん。80歳を過ぎても声がかかるのではないかな…と個人的には勝手に想像していますが、水彩画を拝見できる日もとても楽しみです。
いろんなお話を伺う中、無理なく活動を続けていくためには、自分から溢れ出したものを他者や地域に分け与えることが継続の秘訣なのかなということを、津崎さんの姿から教えていただいた気がします。
世代が違うからこそ語り合える、とても充実した時間をありがとうございました。
津崎さんに会いに2dog kitchenにぜひ遊びに行ってみてくださいね!