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vol. 115
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コミュラボ
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ついに始まった居場所の解剖学。
第1回目は、2023年12月14日(木)に開催しました。
当日は、なんと全国から約300人もの居場所に関心のある人たちがオンライン上に集結!
むすびえ・小島、コミュニティデザインラボ・松崎、グラフィックデザイナー・平野の3名がホストとなり、最終回まで参加者と共に居場所の解剖に挑んでいきます。
第1回目のゲストは、東京都立大学人間社会学科准教授であり、厚生労働省重層的支援体制整備事業 国研修企画委員の室田 信一さんを迎え、「支える」という視点から深掘りしていきました。
■ゲスト / 事例紹介
■コミュラボが考える居場所の仮説
ー居場所の定義
ー仮説:居場所が生まれやすい法則
ー居場所の解剖図(仮)
■解剖トーク
ーコーディネーターが関わること=ドーピング?
ー共鳴し合うチョウチンアンコウ理論
ーBeing(あり方)に気づくこと
■次回の開催について
地域福祉やコミュニティオーガナイジングを専門領域とし、実践研究をされている室田さん。
高校を卒業後、アメリカに渡り、学部と大学院修士課程をNY市立大学ハンター校で過ごされました。大学院修了後は、NY市内にあるセツルメントQueens Community Houseにて、移民コミュニティのオーガナイザーとして勤務し、2005年に帰国。
活動拠点を大阪に移し、同志社大学大学院に進学の後、大阪府社会福祉協議会の社会貢献支援員や大阪府茨木市のNPO法人にてコミュニティソーシャルワーカーとして勤務。大阪大学での特別研究員を経て、2012年4月より東京都立大学人間社会学科准教授として活躍されています。
下の画像は、室田さんが2010年〜2011年、大阪府茨木市のNPO法人三島コミュニティ・アクションネットワーク(M-CAN:通称みかん)でコミュニティソーシャルワーカーとして関わっていた時のものです。
地域の空き店舗を場所を使い、いろんな人の居場所になったらいいなという想いから、当時、駄菓子屋を実施していたとのこと。
また、みかんでは、インターネットラジオを週1回配信しており、室田さんはその企画を考えたり、手伝う人を結びつけたりしていたと言います(下記画像左側の写真)。
そんな室田さんですが、そもそも前提として「支える」「支えられる」という関係性を意識せずに、人や地域に関わるようにしているのだとか。それは、目の前の人が必然的に「支えられる人」という対象になってしまうからだと言います。自身の活動において「支える」から考えたとき、相互に対等に支え合う関係性を大切にしていると話してくれました。
その姿勢を印象付ける一つの事例が、上記画像右側の黒人の男性が写っている写真です。
こちらは、みかんとは別のインターネットラジオプロジェクトのもの。男性は、西アフリカ出身の方で、日本人女性と結婚して子どもがいるものの、失業し居心地が悪いという相談を受けたことから室田さんとの関わりが始まりました。
室田さんがまず行ったのは、彼の仕事探しではなく、アフリカでの生活や彼の得意なことを聴き、彼が誇れることを探ることでした。そして、フランス語話者、HIP-HOP好きでMCをしていたということから、広報誌をフランス語に訳し、インターネットラジオで彼に発信してもらうことを開始。それから、だんだんと彼自身の活躍の場も広がって、最終的には仕事も見つかり、職場でも人気者になったと言います。
彼がラジオに関わっていたのは、半年ほどだったとのことですが、居場所があることが次の仕事につながり、彼自身の居場所も移り変わって行った印象深い事例をご紹介くださいました。
さて、本題に入る前に、私たちが考える居場所の仮説についてご説明します。
※居場所の輪郭については、こちら(居場所の解剖学とは?)でより詳しく述べています。
まず、「居場所」は、他者との関わりを持つことで自分を確認できる「社会的居場所」と、海や森など他者との関わりから離れて自分を取り戻せる「個人的居場所」の2種類に大きく分けられます。
居場所の解剖学では、「居場所」の定義を「自分の存在を確認できる場所」と集約し、「社会的居場所」に焦点を当てています。
「居場所の解剖学とは?」の投稿で、居場所の輪郭について触れましたが、「居場所」は、個人的で、主観的で、暫時的なもの。居場所は、普遍的で変わらないものではなく、その人自身が居場所と感じるかどうかによるものと言えます。
コミュラボとむすびえは、これまでの実践から、そこにある法則のようなものを探り、ある仮説に辿り着きました。
この3つが揃う時に、人は居場所と感じやすくなるのではないかと仮説を立てました。
「係」と「役割」は、同義語じゃないの?という声が聞こえてきそうですが、「係」は「役割」よりも範囲が広く、柔軟性があるイメージです。
「役割」は、その場において誰かの役に立ったり、期待されるはたらきを担うことに力点が置かれています。一方「係」は、他の人から見ると、一見何も役に立っていないようなことでも、本人が自認さえできれば「係」が生まれるという部分に大きな違いがあると考えています。
例えば、家に帰りたくないサラリーマンが、家(場)も家族(人)もいて、役割を担いながらも居場所がないと感じているケース。それはもしかすると、その役割を自認できていないのかもしれません。
「役割」となると、なんだか仕事のような責任を伴う重い感じがしますが、「係」は場や人の役に立つかどうかはあまり関係なく、その場や空気感の中でできるものだったりもします。
それら3つの要素を視覚的に解剖図にしたものがこちらです。
これは、「居場所」という箱をパカっと開いた時の、コーディネーターや居場所の運営者側から見た居場所の解剖図として表しています。
それぞれについては下記のとおりです。
STAGE1:タッチポイント
居場所と人が出会う入口のようなもの。
例えば「#建物の外観がかわいい #知り合いがいたから #サッカーが 好き #そこにいる人が好き」というように様々な#タグ*があり 、居場所に出会う動機づけのようなものを指します。
*#(タグ) : 考えや思い
STAGE2:居場所未満
ここは「人」と「場」がありますが、まだ居場所といえるまでではありません。場の中で人と人が出会い、様々なコミュニケ―ションが巻き起こることで、「自認」や「承認」が掛け合わされ「係」という概念が生まれます。
この「係」は、次のステージである「居場所」へと導きます。
STAGE3:居場所
居場所は、そこに居ると落ち着ける、ごきげんでいられると「その人自身が感じられる」場のことであるため、個人的で、主観的で、暫時的なコントロールしにくいもの。特に「係」という概念は流動的なものなので、ふとしたことで生まれることもあれば、喪失することもあり 、それに伴って居場所も生まれたり、喪失したりします。
「タッチポイント」と「居場所未満」は、ある程度コントロール可能であるためしっかりした土壌。「居場所」はその人自身が「係」を自認し、居心地の良さを感じるもので、第三者がコントロールできないため、雲のような形で表現しています。
ここまで人によってさまざまな感じ方があると思います。みなさんはどのようにに感じましたか?
ただ、この解剖図は、これが完成形ということではなく、これを元にゲストや参加者と解剖しながら、膨らませたり改良していくものとなります。
ここからは室田さんの実践や仮説を踏まえて、いよいよ居場所の解剖に入ります。
解剖に入る前に、まずここで再度認識しておきたいのが、この場では、居場所を増やしたいと思っているコーディネーター目線で居場所を見ているということ。
居場所の解剖学では、地域に「居場所」が増えることを念頭においていますが、室田さんは地域活動に第三者が関わることを、自戒の意味を込め「ドーピング」と呼んでいると言います。
室田:もし自然発生的に、地域の中で活動が生まれたり、人が主体的に活動に取り組む状態をつくり出せたら素晴らしいことですよね。でも、実際にはそういったことは自然発生的には起こりにくい。だからこそ、コーディネーターのような第三者がそこに関わることによって、スピードアップすることはできるのではないかと考えています。そのことは、ポジティブな影響を与える一方で、ある意味では、第三者の関わりにより、人の主体性を失わせるリスクも孕んでいるため、自戒の意味も込めてドーピングと呼んでいるんです。
居場所も同様に、そこに関わる第三者が居場所の法則のような概念をもち、「係」を生みやすいような人と場の配置にしたり、次につなげたりすることで、人が「居場所」と感じられる場が地域に増えていくと言えるのではないでしょうか。
仮説の説明を聞いた室田さんは、自身のイメージに近いと話す一方で、解剖図の段階的なイメージより、だんだんと「光」が当たっていくような感じもすると、「チョウチンアンコウ」に例えて話してくれました。
ここから解剖は、3つの法則の中でも「係」のより深い部分へと切り込んでいきます。
室田:僕のイメージは、チョウチンアンコウがだんだん集まってくることで、そこがふわっと明るくなり、居場所になるような感じがしますね。その一つの要素として、『当事者性』みたいなものがあると思っていて。それが僕の中では、チョウチンアンコウの光のようなものに感じたんです。自分の当事者性に気付けていないということは、自分の光にも気づいていない状態と言える。コーディネーターや仲間と出会うことで当事者性の光みたいなものが反応し、『係』のようなものに結びついて、他の光と共鳴し合うイメージでしょうか。『係』はDoing(何をするか)よりもBeing(あり方)という、ありのままの存在自体が係になるんだと思う。
ここで室田さんが指す「当事者性」とは、英語で言うと「Agency(主体性)」だったり、キリスト教文化圏では「Calling(呼び覚まさせる)」という言葉になるとのこと。
福祉的な視点が強いと、「当事者=問題を抱えている人」というイメージを連想しがちですが、ここではもっと広い意味で、自分が納得できる存在意義や自分が関わっている実感というニュアンスです。「当事者性」と「係」は連動していると捉えることもできるかもしれません。
その「係」や「当事者性」のようなものは、「人」だけでも「場」だけでも成り立たず、その「場」に多様な「人」がいることで生まれるものです。
室田さんは、誰もが光(チョウチン)を持っているが、それがあることすら気づいていない人もいる。さらに、「支える」ということから考えると、人は「支えられる人」という受け身的なラベルを貼られた状態では光が灯りにくい。だからこそ、「支える」「支えられる」という関係性を意識せず、その人自身が当事者性を自認できることが大切だと語ります。
では、光(チョウチン)に気づいたり、「そこにいていい」と人が感じるためには、コーディネーターとしてどうあるべきなのでしょうか。
松崎:『係』が生まれる瞬間というのは、コーディネーターが関わる以前に、人と人の出会いの中で勝手に生まれていることもある。例えば、こども同士が出会って、勝手に係が生まれていたりもしますよね。ただ、居場所に関わるコーディネーターとしては、『役割』じゃなく、『係』みたいなものをたくさん見つけられるかどうかという視点が必要な力だなと感じています。例えば、役に立っているかどうかではなく、何もしていない人を『何もしいてない係だね』という視点で見れるかどうかのような。人に合わせなくても、容認されるような場が増えると面白いなと感じています。
確かに、何もしていなくても「いてくれるだけでありがたい」と言われると、それだけでその場にいることを認められているような感じがします。
そこには、一人ひとりの「Being(あり方)」があり、コーディネーターはそれに気づくことが大切なのかもしれません。
さて、ここで一旦解剖図に戻りましょう。
解剖トークの間、解剖図をリアルタイムで操作していたデザイナー・平野により、第1回目の解剖図は下記のようになりました。
冒頭、室田さんから紹介のあった、西アフリカ出身の男性(Aさん)の事例を「チョウチンアンコウ理論」に当てはめてみたものです。
室田さんがAさんの「Being」を探り、Aさんの中で消えていた(忘れていた)光が灯る。そして、今度はその光(フランス語)に引き寄せられて、要介護のおばあちゃんがやってくるという、「光」が広がっていく具体的な様子を表しました。
平野:今回の解剖学では、光や温度、時間軸など多くの新たな発見がありました。最初の解剖図が正解ということでも第1回の解剖図が完成ということでもなく、今後それらも含めて表現していけると、回を重ねるごとに新しい伝え方ができるんじゃないかなと思っています。
zoom上のチャット欄も大盛り上がりの中、あっという間の2時間でしたが、第1回目は、仮説の3要素の中でも「係」がいかにして生まれるのかということを、「人」の関係性にフォーカスしながら解剖することができたような気がします。
「ありのままでそこにいていい」という状態も「係」になるということは、なかなか概念化しにくいものです。しかしながら、そういった居場所を地域に増やすべく、今後も言語化、図式化に挑戦していきたいと思います!
次回の居場所の解剖学は、2024年1月17日(水)です。
第2回は、「交流」から居場所を解剖します。
ゲストは、株式会社ここにある 代表取締役 / 場を編む人、藤本 遼さんです。
どんな解剖図が出来上がるのか、次回もぜひお楽しみに!
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