CDLマガジン
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vol. 008
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宇野鮎子
ライター
世界中の人にYES・NOのプラカードを渡して、
「まったくもって生きづらい世の中だ」
そう投げかけると、一体どんな反応が返ってくるだろう。
『生きづらさ』は誰かの事実。
だけど私たちは、その生きづらさを誰かと共有しようとしない。
それが生きづらさだ。
ある高校生が「社会って何だと思いますか?」と聞いてきたことがある。
あぁ、いい質問だなと心が満ちた。
それを投げかけてくれるあなたと私の関係性の心地よさ。
さて、何と答えようか。
求められているのは『私』だ。
「んー。これ、私の考えね。知識(用語)としての正しい社会が何かは知らんけど、私が高校生の時は「何なん社会!!」って思ってた。何かねぇ、こっちから求めてもないのに勝手に恩売りつけられて強制的に恩返しさせるヤな感じ。」
「わかります!!」
自分の約半分の年齢の子が全力で頷く様子に、あー、結局世代が変わっても同じ思いをしている子がいるんだなぁと思い知る。
それ、社会から孤立してるんだよね。
「でもね、あるクラスの認知症サポーター養成講座でさ、社協の人が「誰かが「助けて」って言った時、40人いたらその40人の中に何人か助けてくれる人がいるのが社会だよ。助けてって言っていいし、助けてって言われる事を怖がらなくていい。」って教えてくれてるの聞いて、私はすごく救われたし、社会って良いものなのかもしれないって思えるようになった。私の思う社会はまだまだ答えが出ないけど、今度、社会科の先生にも「社会って何ですか?」って聞いてみて。わかったら私にも教えて?知りたいから。」と、お願いしてみた。
すると翌日には、「聞いてきました!ふたり以上存在したら、そこは社会なんだそうです!!」と嬉しそうに答えを披露してくれた。
ちょっと誇らしささえ感じる表情。
なんていい顔するんだ、君は。
そうか、そんな顔するんだね。
それを見せてもらえる、あなたとわたしの社会。
いいなぁ、この社会。
よくよく考えると、子どもの頃から「あれは誰のもの?」って自由に手に取ったり足を踏み入れられるものは意外と身の周りになくて、見えない境界線ばかりだった。
誰かの許しが必要なものばかり。
その境界線を飛び越えるなんて、許されないことだと思っていた。
いい子ちゃんで、傷ついたり強制されることに反抗する術を持たなかった。
だから自分がそれ以上つらくならないように、避けて、繋がりの糸をチョキチョキと切ってきた。
そうしないと生きにくかった。
だから、今、私は生きづらい。
色んな経験をして、色んな勉強もして、やっと今。
今だから思えることがたくさんあるし、自分と同じような思いをする子どもは少なければ少ない方がいいとハッキリと言葉にできるようになった。
私は今、たくさんの人に認められて、背中を押されながらようやく立っている。
コロナ禍で「日本人は孤独耐性が強い」と話題になっているけれど、強いんじゃない。そうならざるを得なかった人もきっと多い。
『ひとりの人間(よそもの)が「地域の人」にどうしたらなれるんだろう。』
漠然とそんな事を考えているタイミングで、このコミュラボライターのお話をいただいた。
私は、これからは自分が感じる生きづらさを誰かと共有しながら、ふたり以上の社会を誰かとともに創っていくのだと、この場を借りて心しておきたい。ここも社会のひとつ。そう思いながら筆を進めたい思いを込めて。はじめの一稿はこんな感じで。