CDLマガジン
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vol. 189
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コミュラボ
ライター
「踊れなくなったら、生きた心地がしないかも」

そう語るのは、コンテンポラリーダンサーで振付師でもあるAYART(本名・川越彩子)さん。三股のフェスやイベントに来たことがある人なら、AYARTさんのダンスを見たことがある人は多いのではないでしょうか。コミュラボのイベントでは、その場をイキイキとさせてくれる欠かせない存在です。
しかし、彼女がどんな人生を歩み、どんな想いで踊ってきたのかは、今までほとんど語られてきませんでした。そんな中、今回ようやく実現したインタビュー。そこで語られたのは、ダンス以上に、踊ることで生まれる“場の変化”そのものを見てほしいという、深いメッセージでした。
──AYARTさんとこうしてお話しするのを楽しみにしていました!AYARTさんのダンス人生はいつから始まっているんですか?
AYART:もうね、幼児の頃から踊っていました。都城市で生まれたんですけど、近所にも同年代の子が全然いなかったのでひとりで遊ぶしかなかったんですね。遊ぶって言っても、家の中で勝手に自分で世界をつくる感じ。廊下と部屋の間の柱から出てきて歌手の真似して歌ったり、大きいクマのぬいぐるみがあったらそれと物語つくって劇をしたり。今思うと、あれが私のベースかもしれませんね。

──もうすでに今のAYARTさんに通じるものを感じます(笑)学生時代はどんな日々を過ごしていたんですか?
AYART:父が転勤族だったので、宮崎県の中を転々としていました。中学時代は、バトン部に入って、高校時代は、両親と離れ、日向市の日向高校に下宿したり、祖母と一緒に暮らしていました。それが良かったのかどうかはわからないけど、この時の経験のおかげで自立心はすごくついたと思います。
──高校卒業後はどんな進路を歩まれたんですか?
AYART:本当は4年制大学に行きたかったんだけど、センター試験の時に体調が悪くて。人生終わったって感じだったんですが、長崎県立女子短期大学の英文科に進学。新体操とかしようかなとか思ってたけど、あまりにも本格的すぎて断念。そしたら、熊本出身の友人が『映画研究会に入らんか?』って誘ってくれて、断れずに入ったんですよね。そこで、8ミリフィルムで、脚本を書いて、自分で演技もして、撮るということをやってましたね。

──そこで演技にも出会うんですね。短大卒業後はどうされたんですか?
AYART:宮崎に戻ってからは銀行員をしてました。長く勤めていたんですが、正直しんどい部分もあり…。当時は、今よりも個性を出してはダメだという風潮もあったので窮屈な感覚があったんです。でも、働きながらもバレエを習ったり、ミュージカル劇団で活動したり、それでなんとか精神的に保たれていました。
──そこから、どうして東京へ行くことになったのでしょうか?
AYART:そうですね。1990年代頃、コンテンポラリーダンスが日本に入ってきて、流行り出した頃でした。情報源が雑誌しかない時代なので、それを見ていたら、なんか自由だし、楽しそうだなって憧れがあって。34歳ではあったんだけど、このままこの仕事をし続けても楽しい未来が描けず、どうしてもコンテンポラリーダンスが学びたかったんですよね。その頃から、会社が休みの間にニューヨークへダンスを学びに行ったりしていたんですが、続けてやらないとだめだと気づいたんです。それで思い切って上京しました。

──それは大きな決断でしたね。
AYART:はい。ダンスって、若い子たちが多いから、周りは10代、20代ばっかりですよ。でも私はとにかく踊りたかったんです。バレエもコンテンポラリーダンスも、東京には一流の先生がいるので、仕事をしながらいろんな先生のところに行ってました。ダンスって、一人の先生から学ぶことが多いんだけど、私の場合はオリジナルの人に学びたいというのがずっとあって、東京でもそういう人たちから学んでいましたね。
──東京で踊り続ける中で、変化はありましたか?
AYART:仕事して、踊って、また仕事して… 劇場で踊ることもあったんですが、だんだん価値観が変わってきて。舞台装置も照明ももちろん素晴らしいんですけど、踊るのは、劇場じゃなくてもいいんじゃないかって思うようになったんです。自然の中にあるものには勝てないということを、その頃から感じていたのかもしれません。

──宮崎には何がきっかけで戻って来られたんですか?
AYART:40代に入ってから母の体調が悪くなってしまって、仕方なく帰ってきたんだけど、東京の生活も十分経験したなという感覚もありました。でも、その頃は踊る機会も場所もなかなかなくて。表現はしたいけど、誰に相談したらいいかも、どうしたらいいかもわからず、止まっている時間みたいなのは実際ありました。
──結構、悩んだ時期もあったんでしょうか?
AYART:そうですね。宮崎で、踊りを表現するにも、東京では結構「死生観」を表現するような重たいテーマを扱うダンスが多かったんですよ。だから、宮崎の人に受け入れてもらえる表現ってなんだろうって、すごく考えた時期がありました。でも、宮崎の人ののんびりした感じとか、明るさとかそういう空気感と自然に調和していく感じがいいのかなということに辿り着いて。

──ダンスのテイストが東京と宮崎では違っていたんですね。
AYART:そうですね。宮崎でも機会があれば踊ったり、ワークショップを開くことはあったけど、たいてい一回きりで。ダンサーである私に興味を示してもらえなかったことに悔しさを覚えたこともありました。それは、私が本当にしたかったことが、自分がダンスを披露する機会を増やしたいわけじゃなくて、“誰かの経験”を増やしたかったからなんです。
──“誰かの経験”と言いますと?
AYART:きっと家や身内の中でなら、歌ったり踊ったり自分を表現できる子はいると思うんだけど、それはそこまでになってしまう。それももちろん楽しいけど、人前で表現するってまた違うものがあると思っていて。だからそのダンスを一緒に楽しむ経験を通して、人前に立つことへの“慣れ”や“安心感”を、少しずつ誰かの身体に体感として残していけたらいいなと思っていました。そうすると、将来、学校や就職した時に人前に出る場面でも緊張しすぎずにいられるんじゃないかなと。

──三股で最初に踊ったのはいつだったんですか?
AYART:どうやってコミュラボとつながったか定かではないんだけど、一番最初は、2022年の樺山購買部のオープニングイベントだったような気がします。三股は、いろんなことが起こるから、本当に面白い。子どもがワーって走り出したり、通りがかりの人が反応したり、購買部前で踊ると車が来たりね(笑)本当はね、私がいなくてもいい場ではあるはずなの。でも、呼んでいただいて、AYARTという異分子が入ることで、思いもよらないことが起こったりするんですよね。そこを見てほしいんです。

──あの…企業秘密かもしれないんですが、どこまでが即興で、どこまでが考えられていることなんですか?
AYART:実はね、ノートを持ってきたんです。テーマ曲を選んだら、こうやって歌詞を書いて、意味を考える。繰り返しの部分なんかは振りを決めるけど、あとはその場にいる人や物なんかで変わるから、全体のスペースとか、人とかを見て、そこで起こることを絡めて表現しています。三股以外だと、ちょっとカッコよさを重視する時もあるけど、三股はとにかくみなさんに楽しんでもらおうという気持ちが一番強いですね。

──本当にその瞬間でしか見れない作品を、私たちは目の当たりにしているんですね。三股で踊った中で印象深かった場はありますか?
AYART:竹取フェスの時、竹林の前で踊ったのはすごかった。あれは、なかなかない環境ですよね。あとは、コミュラボに視察に来ていた内閣府の方に『感動した』と言われた時は驚きました。三股のいろんな場で踊らせていただいて、最近はコミュラボ以外からお声掛けいただくことも増えたんですよ。

──活躍の場が広がっているんですね!どんな環境でも踊れるのは、これまでのダンスの基礎や舞台の経験がしっかりあるからこそ、これだけ自由になれるのかなと感じます。
AYART:そう言ってもらえると嬉しいです。私は、本当に踊るのが私の生き甲斐なんですよね。踊るなと言われたら、生きた心地がしないかもしれないくらい(笑)ただ、私は本来、2番手3番手でいい人間なんです。心からみんなに表現を楽しんでほしいって思っているからこそ、やり切れるのかもしれません。

──最後に、読者へメッセージをお願いします。
AYART:やりたいこと、好きなことがないっていう人もいるかもしれないけど、私はいつも思うんです。子どもの頃、何してた?って。みんな忘れちゃうんだけど、そこにきっとヒントがあるはず。もし、何かを表現することに不安があるなら、私を見てほしい。私も、恥ずかしいという気持ちがなかったわけじゃないんです。でも、それは克服できると思っています。最初はうまくいかなくても、やってみたらきっと技術は後からついてくるものだから。

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見る人を魅了し、本当に毎回楽しませてくれるAYARTさん。AYARTさんのダンスは、既存の枠にとらわれない「AYART」というジャンルになっているようにも思います。それは、型を極めた末に生まれた自由であり、自分を誇示するためのものでも、誰かを圧倒するためのものではなく、その場にいる人や空気と一緒につくられていく表現です。
AYARTさんは、「表現は自由で楽しい」ということを、言葉よりも全身を使って伝えてくれていたのだということを改めて感じました。AYARTさん、お話を聞かせていただき、ありがとうございました!
次回、AYARTさんのダンスに三股で出会えるのは、12月28日(日)に開催される第2回みまたんダービーです!みんなで賑やかな年末を過ごしましょう!