CDLマガジン
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vol. 161
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コミュラボ
ライター
いつも優しい笑顔で子どもたちの活動を見守るこちらの男性。こども未来応援団体 タテヨコナナメの共同代表理事を務める、茭口 寿文(こもぐち ひさふみ)さんです。茭口さんは、都城市役所職員の傍ら、タテヨコナナメを通した地域活動にも精力的に関わっていらっしゃいます。今回は、そんな茭口さんに地域活動に関わることになった背景とその想いについて伺いました。
茭口さんは都城市出身で、都城の普通科高校を卒業後、自衛隊に入隊されていました。
「子どもの頃は、好きなことばかりやってた気がしますね。中学、高校の時期は、家でほどんど勉強をしたことがなかったかも(笑)子どもが好きだったので、高校卒業後の進路を考える時期になんとなく中学校の先生になりたいなとちらっと思ったことはあったんですが、大学試験に落ちてしまって。母親の勧めで自衛隊の試験を受け、1年半ほど入隊していました。退職後は、公務員試験を受け、都城市役所職員として働き始め、今に至ります」
市役所に勤めて、今年24年目となる茭口さんが、タテヨコナナメに携わるようになるまでには、どのようなことがあったのでしょうか。
最初のきっかけは、同級生との接点だったと話します。
「最初にタテヨコナナメのことを知ったのは、約5年ほど前だったと思います。実は、タテヨコナナメの初代代表が私の同級生でして。元々子どもの教育や子どもに関わることに興味があったので、市役所に勤めながらも、保育士試験を受けようか迷ってみたり、転職を考えてみたりしていた時期もあったんです。でも、現実的に考え、資格を取るのは難しいな…と悶々としていて。そんな時、同級生から子どもたちに関わる活動を始めたという話を聞き、面白そうだなと興味を持ったのが最初のきっかけでした」
タテヨコナナメは、三股町社協が「どうぞ便」をスタートしてしばらくした頃、学校に行けず困っている家庭の存在を知り、彼らを応援するためにどうぞ便と連携して2020年4月に発足したもの。現在は、ひる学校、ゆう学校、よる学校をはじめ、10個(2025年1月時点)もの活動を通して、子どもたちの新たな出会いと広い学びの機会を届け、多様な世代や価値観を通して子どもたちを応援しています。
茭口さんが、初めて地域活動の見学に行ったのは、2020年11月のこと。ここから、茭口さんの運命が大きく動き始めます。
「私が最初に活動を見学しに行ったのは、『つながる味噌づくり』でした。今思えば、それはタテヨコナナメの活動ではなかったんですが、それから1ヶ月後くらいに、今度は総会があると言われ、訳もわからず行ってみたんです。すると、代表が変わるという議題で、急に私が指名されて!驚きますよね!軽い気持ちで遊びに行っただけでしたし、全力で断ったんですが、その場で押し切られる形で代表になってしまいました(笑)」
なんと、活動の見学に行ってから、1ヶ月後にタテヨコナナメの代表に抜擢されてしまった茭口さん。茭口さんは当時を振り返り、「正直、この団体大丈夫か!?と思った」と笑いながら話します。「最初は右も左もわからない中で、メンバーたちと一緒に目の前の課題を一つひとつ相談しながら進め、気づけば関わり始めて5年の月日が経とうしていますねぇ」と感慨深そうな表情です。
現在のタテヨコナナメは、茭口さん含む3名が共同代表理事として役割を担っているとのことですが、思わぬ形で代表になったとは思えぬほど、茭口さんは楽しそうに活動に関わっていらっしゃいます。
「タテヨコナナメは、学習支援の他、外遊びや送り出し支援など、個別のケースに合わせてこれまで活動を広げてきました。最近の大きな動きとしては、やはりひる学校、ゆう学校、よる学校ができたことです。すごく不思議なんですけど、こうして振り返ってみると、高校生の時に抱いていた学校の先生になりたいという夢が、違う形ではあるけれども、実は叶っているんですよね。今思えば、教員免許を取って学校の教員になるより、こうして子どもの主体性を大切にしながら、枠にとらわれない形で子どもたちと関わる方が私には合っていたのかもと思ったりします」
茭口さんのこれまでのお話から、子どもの頃に漠然と抱いていた夢と不思議とつながっていて、ふんわりと流れに身を委ねるのが上手な方なのだろうなと感じずにはられません。
「昔から、こうじゃなきゃいけないとか、目標を決めて突き進んでいくとか、そういうのが苦手で。先のことわからないし、むしろ思ったように行かないことも多いじゃないですか。確かに、目標があるとブレないのかもしれませんが、明確じゃなくてもいいのかもとも思います。私は、自分を優柔不断だとネガティブに捉えていましたが、最近は実はそうでもないかもと思っていて。見方を変えれば、いろんなことに柔軟に対応できるとも捉えることができるし、それも悪くないなと感じています」
茭口さんは、5年前になぜタテヨコナナメの代表に指名されたのか聞いたことはないとのことでしたが、多様な人たちが関わるからこそ、白黒つけずグレーも許容してくれるような茭口さんの性格を、その場にいた人たちは本能的に見抜いて信頼していたのかもしれません。
そんな茭口さんは、本業がありながら、なぜタテヨコナナメの活動にここまで力を注ぐことができるのでしょうか。その原動力について次のように語ります。
「なんでしょう…やっぱり子どもたちとちゃんと関わっていくと、彼らはちゃんと応えてくれるので、そこがやはり嬉しいですね。あとは、一緒に活動する仲間とも本音でいろいろな話ができるので、それもすごくいいなと感じています。コミュラボを通して出会う人たちって、誰かや地域のために何かをしたいという想いを持った人が多いので、そういう人たちに刺激されますし、明るい気持ちになれるんですよね」
さらに、子どもたちと関わるときは、自分自身が楽しむことを大切にしていると話します。
「もちろん安全には気をつけていますが、何かをしてあげようというより、単純に子どもたちと一緒に一人の人間として楽しむことは心がけています。学校の現場だと、教育というと国語や算数などの教科の学びをイメージしますが、タテヨコナナメでは、それ以上にコミュニケーションや自分で問題を解決していくような、点数化できない非認知能力というものを大切にしています。自然や遊び、多様な人たちの中で育まれるものでもありますし、それは子どもだけでなく、大人も一緒に育っていくような感覚もあるかもしれません。あとは、見落としがちですが、活動を続けていくために無理をしないというのも大切なことですね」
本業と地域活動の二足の草鞋を履く茭口さんにとって、タテヨコナナメの活動やコミュラボの地域活動はどのような存在なのでしょうか。
「いろんな人にとっての居場所のような感覚があります。子どもたちだけでなく、関わる大人にとっても居場所になっているのではないかなと。いろんな人やコトとの出会いの場ですし、その中でいろんな考えがあってもいいんだという価値観に触れる機会でもあると思うんです。正解がない時代になってきているように思うので、自分が何を選ぶかが大切なのかなと感じています。人はどうしてもはっきりさせた方が安心するけど、あえて決めないのも一つの正解だと思ったりします」
と茭口さんらしい言葉をいただきました。
茭口さんのお話からは、「面白そう」という直感を信じ、それに飛び込む少しの勇気が新しい世界を切り開く力になることを感じました。
そして、タテヨコナナメでは、将来本当に自分たちで学校をつくりたいという大きな夢があるのだとか。もしかすると、子どもたちが学校やフリースクールを自由に選べる時代が訪れるのもそう遠くないのかもしれません。
茭口さん、お話を聞かせていただき、ありがとうございました!
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