CDLマガジン
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vol. 097
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コミュラボ
ライター
りんりん食堂を運営する蔵元 盟子(くらもと ちかこ)さん。
ヘルパーのお仕事をしながら、いつもパワフルに活動されている蔵元さんですが、今回はそのパッションの源を覗かせていただきました。
蔵元さんは、都城出身。りんりん食堂をはじめ、地域活動や勉強会など様々な活動に積極的に参加されている蔵元さんですが、実は子どもの頃からアートが好きで、中学、高校時代は美術部。卒業後も絵に携わっていたといいます。
「高校卒業後、大阪の専門学校へ行って、そこからもずっと絵を描いていてね。本当は大阪芸術大学に行きたかったんだけど、家の事情でそこは難しくて。舞台にも興味があって、大道具さんとか小道具さんとかが好きだったの。でも、父親から2年で帰って来いって言われていたので、泣く泣く2年で帰ってきました」
そんな蔵元さんが、最初に福祉の世界に出会ったのは、エイブル・アート。
エイブル・アートとは、障がいのある人たちが生み出すアートのことです。
「専門学生時代、大阪の美術館やギャラリー巡りをしていた時、エイブル・アートに触れることがあって。それを見た時に、自分がどんなに表現しても彼らには敵わんなと感じたんですよね。その時に、自分が描くことじゃなくて、それをサポートする側に回りたいなと思った。それから、宮崎に戻ってきて、妹の同級生の伝手で、障がい者施設で月に1〜2回絵を教えることになりました。でもそこに作業に来ている人と自分の年齢が変わらなくて。指導員でもないし、お友だちでもないような関係性に違和感を感じるようになって、そこを辞めて病院で働くようになったんです」
こうしてアート大好きな蔵元さんは福祉の世界に深く関わるようになりました。
蔵元さんが三股町に来たのは、コミュラボライターである蔵元 茂志さんと40代で結婚されてからのこと。
社協で実施していた傾聴ボランティアに参加していて、そのメンバーで傾聴ボランティア団体すず虫の会を結成。「みんなのしゃべり場」という活動がスタートしたり、病院へボランティアに行ったりする中、2016年に「りんりん食堂」を始めることになります。
「私は子どももいないし、もともとは障がい者とか高齢者の分野がベースなんだけど、甥っ子が不登校になって。いつのまにか甥っ子の周りには、どこにも居場所がないような子たちが集まるようになっていました。彼らを見て見ぬふりはできず、関わるうちにその子たちを救いたいと思うようになったんです。地域で見守るって大事だなと感じて、地域食堂をやりたいというのはありましたね」
そんな想いを抱える中、7年前に仲間のつながりで光明寺の場所を借りて、りんりん食堂をスタートすることになった蔵元さん。仲間のサポートと、蔵元さんの“なんとかなるだろう”精神で、立ち上げはスムーズだったと話します。
「みんな仲間が動ける人たちだからね。本当に助かっています。最初の頃は食材を募集したりしていたけど、結局使いきれなかったりしてもったいないので、最近は募集せず、その時の状況でやっています。だから朝の食材の状況で、献立も急に変えたりするし、食堂に来る人もボランティアの人数も、その時によってバラバラ。いい意味で“良い加減に好い加減”じゃないと続けられないよね(笑)」
冗談混じりで笑いながらお話しされる蔵元さんですが、活動を続ける重要な秘訣かもしれません。
蔵元さんの活動は、りんりん食堂や傾聴ボランティアをはじめ、この記事では紹介しきれないほどありますが、実は今、新しい活動に向け準備をしているとのこと。
それが「チロル堂」という駄菓子屋さんです。
この活動は、「アトリエe.f.t.」というアートスクールの代表・吉田田タカシさんが奈良県生駒市で行っているものです。「チロル堂」では、子どもがガチャガチャを回して「チロル」という店内通貨をゲットし、駄菓子でもカレーでも好きなものに交換できる場所。しかも、大人が買い物や飲食した費用の一部が子どもの「チロル」になるという、地域でこどもを育て、見守る仕組みになっています。
これを知った蔵元さんは、「すごくいい!三股でもやりたい!!」と思い、吉田田さんを突撃し、「暖簾分けしてください!!」と直談判したそう。
思い立ったら即行動する、そのパッションには本当に脱帽です。しかも一度は断られたものの、諦めずにアプローチ。そして、ついにその許可を得て、その仕組みを取り入れた場所を絶賛準備中なんだとか。
「たまたまだけど、吉田田さんは私が若い時に行きたかった大阪芸術大学の卒業なんですよね。直談判しに行ったときには、活動に対する想いが溢れて号泣してしまったほどでした(笑)。三股町でのチロル堂は、やる場所も決まってるんだけどまだ準備中。先に言葉にしないと動いていかないからね。人生一度きりだし、会いたい人がいたらすぐ会いに行く。行きたい場所があったら行く。全てはやるか、やらないかだと思っているので。この新しい活動もぜひたくさんの人に応援してほしいです」
と話します。
ずっとお話を伺いながら、そのパッションがどこからくるのだろうと思っていましたが、このエピソードから、自分の気持ちに正直にとにかく動くという蔵元さんの生き方を感じられたようでした。
最後に、そんな蔵元さんへ三股町やこれから活動について伺ってみました。
「今までりんりん食堂なんかを続けてきて、辞めたいなと思ったことはないんです。コロナの時期は開催できない時もあったけど、三股町は、どうぞ便をはじめ、仕組みがきちんとできているから、本当に必要な世帯にはサポートが届くだろうと安心することができていましたね。ただ私も年齢を重ねてきたし、りんりん食堂は私の後の人が育ってくれるといいなとは思っています。でも、これからもやりたいことはまだまだたくさんあるので楽しみですよ」
蔵元さんの活動からまだまだ目が離せませんが、この取材を通し、私たちも日々の生活に「良い加減に好い加減」をちょっと取り入れてみると、もっと力を抜いて楽に生きられるかもしれないなと感じさせていただきました。
蔵元さん、お話を聴かせていただき、ありがとうございました!