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vol. 033

んだもした~ん!なんごっけしげしvol.5

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蔵元 茂志

ライター

都会への憧れ。それは健常者も障がい者も変わらない。もちろん不安がなかった 訳じゃない。
全盲の自分が、右も左も分からない都会でほんとにやっていけるのだろうか?ご飯は?買い物は?銀行は?そもそも自分の家にちゃんと帰れるのか?などなど。
でも21歳の若僧にとっては断然憧れの方が強かった。そんな時、学校に届いたのが神戸のマッサージ院からの求人。
わざわざ見学に行って就職を決めた。もう30年近く前のことになる。

住まいは古い木造のアパート。広さは一人で住むには十分だったけど、なんと風呂なし!ここから7年間の銭湯通いが続くことになった。

食事は、はじめのうちは金なしなので、近くの商店街でお総菜を買って、ご飯だけ炊いて食べた。
でも、そのうちお金に余裕ができてくると、月の半分くらいは外食&飲んで帰ってくると言う荒れた生活。
そんな不摂生が続いたある日、眼に違和感を感じて病院に行くと、左右の眼の中にたくさんの異物ができて(たぶん吹出物のような)、大学病院で摘出してもらうはめになった。

都会で一番良かったことは、なんと言っても電車やバスが充実していること。地下鉄は5分、バスは10分も待てば乗りたいのが来る。これまで不便な車社会で育った茂志にとって、それは夢のような生活だった。
歩くにもほとんど不便はない。通りには点字ブロックがあるし、そこら中に人がいるので分からなければ親切に教えてくれる。
電車でもそう。空いてる席をスマートに教えてくれたり、譲ってくれたりする。普段からそう言うことに接して慣れているのだろう。田舎の人は優しくて都会の人は冷たいと言うのは、まったくのでたらめだと茂志は思う。

職場の先輩からはパソコンの便利さをおそわった。パソコンは学校でも少しは習ったけど、都会で教わったことは当時としては桁違いだった。
そのおかげで、自分で郵便物の宛名書きができたり手紙が書けたりした(当時はメールも携帯もやってる人は少なかった)。

スキーにも行った。目が見えなくてスキーができるの?と思うだろうか。茂志もそう思った。でも彼らは、スピードはゆっくりだけど、ガイドの後についてちゃんと山を滑って降りた!ちなみに茂志はと言うと……ぜんぜんうまくなれなくて、最後までリフトで降りた笑笑

マッサージの仕事は厳しかった。完全歩合制、施術中でも「おれには合わん」と平気でチェンジを求められる、女性と言うだけで、力が弱いと決めつけて断ってくる!
でも逆に気に入られたら、指名してくれたりチップがもらえたり。それはそれで、なかなかやりがいのある仕事だった。

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