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vol. 043

連載「津崎忠文の3.11」どなられて謝られてそして泣かれてNo.5

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津崎忠文

ライター

被災地で活動していた初期の頃は、もっぱら避難所で一時避難されている人たち
にアシスト(からだの神経経路にそって指先を用いてさすっていく医療行為ではない
緩和ケア)を行っていました。


 避難所は多くの場合、学校や公共施設が指定されていて、体育館や教室で被災された
多くの人たちが生活されていました。当然、子ども達も家族と一緒に生活していますが、
日にちが経つにつれて子ども達にもストレスがかかるようになります。


 遊ぶ場所がとても少なく、発育盛りの体を持て余していました。運動場は車の駐車場
になっていて、自衛隊の車両が行ったり来たりしています。運動場でボール遊びや走っ
たりもできず割り当てられた狭いスペースで日がなごろごろするしかありません。


 私たちは、なんとかしたいと思い「子どもアシスト隊」を結成して子ども達にアシス
トのやりかたを講習してそのやりかたを覚えさせ、お父さんやお母さんにまずはやって
もらいました。反響は良好で、隣近所の人にもアシストを行いました。


 結果として子ども達はこの活動に夢中になりました。大人達から「からだが楽に
なった。」「ありがとう」の声をかけてもらえたからです。毎日の日課のようになり、
のめりこみました。


 そんなある日のこと


 私たちの拠点の教室にひとりの男性がどなりこんできました。方言ではありますが
その内容はわかりました。子ども達が体育館内を急にうろうろしだしてあちこちの
被災者に声かけ、それまで静かだった避難所が騒がしくなった。その様子がイライラ
する。ということでした。お酒がすこし入っていたと思います。その男性は言うだけ
言うと帰って行きました。


 私たちは、被災者に対しての配慮がたりなかったのかと、その男性の心の内を考えて
みな押し黙ってしまいました。

と、何分経ったでしょうか、さきほどの男性がふたたび訪れて、またどなられるかと
思ったら、今度は、「さきほどは大変失礼なことをしました。私たちのために遠くから
ボランティアで来られたのに」と、頭を低くして謝られたのです。


 そして、終いには涙を流されて、土下座までしようとされました。突然の大災害で何を
どう整理することもできず、不安と絶望の日々を過ごしていらっしゃるようでした。


 それからは、私たちは被災者の方達の気持ちに対し、最大限の配慮をすることを心が
けて活動しました。このことは被災地での活動について多くの教訓をいただいたと思って
います。


 そうは言っても被災地の子ども達への気配りはとても大切なことだと今でも思っています。
東日本大震災以降も、全国各地でさまざまな災害が繰り返し訪れています。たくさんの子
ども達も、同様に苦しい思いを抱えながら過ごしていると思います。


 私たち「おとな」は、さて「子ども達」に何を残していけるでしょうか!


 今回はここまでです。 次回もまたよろしくお願いします。 See you soon!

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