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CDLマガジン

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vol. 001

んだもした〜ん!なんごっけしげし vol.01

date

2021.03.08

Writer

蔵元 茂志

Category

Tag

profile

蔵元 茂志

ライター

俺。蔵元茂志。

あだ名は小学校の頃から専らHAGE
コーヒーとビールをこよなく愛す
現在は嫁さんと盲導犬との3人暮らし
上米公園近くで掌~たなごころ~はり・きゅうマッサージを開業中。

俺、茂志は目が見えない。
今回はそんな俺の生い立ちを少々。

俺。茂志。昭和46年、千葉県に生まれる。
未熟児だったこと、目が全く見えなかったことから3か月の余命宣告を受け、両親は慌てて実家の宮崎に帰郷。
でも、なぜか49歳の現在まで生き延びる。

7歳で宮崎市にある視覚支援学校に入学。そこから約13年間の寮生活がはじまる。
小3くらいから同級生と共に寮のガラスを割ったり備品を壊して怒られまくる日々。
ぼろぼろに破いた畳の前にひざまずき「畳さんごめんなさい」と土下座させられたのが、今でも忘れられない1番の屈辱。

ギターとの出会いは中1の時。先輩がベンチャーズやキャロルをかっこ良く弾いてたのに憧れて。でも最初は寮に眠ってたクラッシックギター。その後親父が質屋で年代物のエレキを買ってくれて、そこからTHE BLUE HEARTS,BOY,The Venturesなど、いろんなジャンルのバンドを経験。

部活はずーっと野球部。今でも社会人のチームに所属してるけど、全然うまくなれなくて、ただ頭数揃えのためだけのなんちゃって部員。
眼が見えない人用の特殊な野球で県内唯一のチームだから、必然的に毎年九州大会には行けるけど、自分が出て勝った記憶が0。

高校卒業後、鍼灸の資格を取るために専攻科に入学。そこから片道1時間半の電車通学がスタート。
それまでの『井の中の蛙』生活から一転、たくさんの友達ができて、休みの日でも家には寝に帰るだけのめちゃめちゃ楽しい通学ライフを過ごす。

専攻科を卒業すると、いよいよ就職。都会での生活、一人暮らしにあこがれて神戸へ。途中阪神・淡路大震災に遭遇するなど、紆余曲折の7年間。
平成11年、努めていた会社の存続に危機感を感じて帰郷。現在住んでいる場所のすぐ目と鼻の先に蔵元治療院を開業。
平成21年、今の場所に掌はり・きゅうマッサージを開業、現在に至る。

ざっとこんな感じで
次回は、俺、茂志の子供の頃の話を少々。

敬具

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