CDLマガジン
MAGAZINE
vol. 042
profile
津崎 公子
ライター
今回は東ティモールと私の敬愛する相馬さんについて紹介したいと思います。
東ティモールといえば、コーヒー愛好家の中には、ああ、「フェアトレードで有名なコーヒーね」とご存知のかたもいらっしゃると思います。東ティモールがそれまでの統治国のインドネシアから独立したのは、20 年前の 2002 年。その独立に貢献し、2015 年、同政府から功労賞を受賞したのが故相馬信夫さんです。
その相馬信夫さんこそ、私のわすれえぬ人です。
相馬さんとの出会いは、私のカトリック新聞の面接の時で、同新聞の社長として面接していただきました。当時勉強していた解放の神学についてお尋ねになり、私が話すのをニコニコと聴いておられたのを覚えています。当時相馬さんは 73 歳。名古屋教区司教で、名古屋と東京をひんぱんに往復しておられました。
東京には、司教の協議会や事務局があり、カトリック新聞の社長として、また1970 年代からは正義と平和の担当司教として、現場で働く神父やシスター、信徒たちとの会議や相談にのるだけでなく、自ら韓国の詩人金芝河(キム・ジハ)さんの死刑阻止を表明されるなど、激務をこなしておられました。
自分を親父と慕い現場で働く人たちに、相馬さんは、「私は勧進帳の弁慶で、私の役目はみんなの防波堤となることです。正義と平和のために自由に活動して下さい」と話されていました。
最も印象深いのは、1980 年代後半から、東ティモール問題に関わった相馬さんの姿です。各地で東ティモール支援の団体が組織され、1989 年、司教自らニューヨークの国連本部で、東ティールの民族自決に関わるアピールを表明されました、だからと言ってすぐに世界は動きません。
1996 年、マレーシア・クワラルンプールで NGO 主催「アジア太平洋・東ティモール会議」の最中に、警察に拘束されました。
驚いたのは、世界でした。
装甲車に載せられた相馬司教(80 歳)の姿が、映像となって、世界中に配信されたからです。そのとき司教は「自分の映像が世界に流れ、東ティモールの現実が世界にタダで発信されとても良い宣伝になった」と喜んでおられました。
人は相馬さんのことを現場主義と評します。相馬さんは、1916(大正5)年東京生まれ。1927 年 25 歳で、東京帝大理学部天文学科を卒業し、大学院で学ぶ。翌 1928 年パプアニューギニアのラバウルに出征。1945 年に帰国(30 歳)。1953(昭和 28)年、東京カトリック大神学校の門を叩く。戦争の現場で、何を見たか。正義と平和のための活動の原動力が、どこにあるのか。今となっては知る由もありませんが、スケールの大きな相馬さんとの出会いに感謝したいと思います。