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vol. 147

「遊び」は人間のさが。くだらないことをもっと許せる社会へ

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前回の記事で紹介した、ユース世代のための新スポット「PARK」。記事を読んだ方は、そこを運営するNPO法人ヒミツキチ(以下、ヒミツキチ)の山下さんについてもっと知りたいと感じた方も多いのではないでしょうか?
ヒミツキチは、こどもたちの冒険遊び場であるプレーパークをはじめ、自由な「遊び」を通したこどもたちの居場所をつくっています。今回はそんなわくわくするようなヒミツキチで活躍する、山下 朋子(やました ともこ)さんのこども時代から今に至るまでを伺いました。

児童福祉の原点に出会った20代

宮崎市出身の山下さん。カトリックを信仰する両親のもとに生まれた山下さんは、児童養護施設やボランティア活動が身近にある環境で育ち、こどもの頃から福祉という世界がすぐそばにあったと話します。

「児童養護施設みたいなところって、いろんな境遇の子たちがいますよね。両親がいなかったり、いろんな理由で施設に預けられたり。そんな彼らと一緒に活動をする中、どうしてこんなふうな世の中なんだろうみたいな疑問がずっと小さい頃からありました

こどもながらにそういった社会に対する疑問を抱いていた山下さんは、どんなこども時代を過ごしたのでしょうか?

「うーん、おとなしい子でしたよ。思い返せば、いろんなことをして遊んでいましたね。公園で缶蹴りをしたり、ままごとをしたり、端っこで作業したり。絵を描くのも得意で、いつも学校で賞を取っていたのを覚えています。ただ、結構引越しが多い家庭で、絵が賞を取る度に全校集会で表彰されて目立つので、それはあまり好きではなかったかな。本当は美術大学に行きたかったのですが、家庭の事情で行きたかった高校を断念。希望とは違う高校へ進学し、少し自暴自棄になったのか、“夜な夜な会”とか言って、いつも友だちと夜遅くまで遊んでましたね(笑)悪いことをしていたわけではないけれど、いろんな学校の友だちと集まって、とても楽しかったのを覚えています」

高校を卒業した山下さんは、卒業後すぐに地元の銀行に就職。銀行という特殊な業界の中で、理不尽なことや大人の事情に翻弄されながら20代前半を過ごし、その後福祉の道へ進む選択をしました。

「20代前半ってまだ純情ですし、大人が許せない気持ちになることもあるじゃないですか。そんな中で、昔から周囲の人に “ともちゃんはこどものことしたらいいよ” と言われていたこともあって、福祉の道を考えるようになりました。ある時調べていたら、大阪の社会福祉協議会に社会福祉主事の任用資格のコースがあることを知って。大阪に移り住んで勉強をしながら、夜はホームレスの夜回りや炊き出し、学童ボランティアなどをしていましたね」

山下さんがいたのは、大阪市西成区のあいりん地区というところ。そこは、日雇い労働者のまちとして古くから知られており、ホームレスや生活が苦しい状況の人も多い地域。さまざまな支援団体やボランティア団体も多く存在する「福祉のまち」としても有名です。その場所で2年ほど活動を続けた山下さんは、そこでのこどもたちとの出会いが今の児童福祉の原点になっていると話します。

「大阪のこどもたちって、めちゃくちゃ面白くて。お母さんがいなくても、“今日おらんねーん!”って明るく笑い飛ばすんです。彼らは経済的には貧しくても、心はとても豊かでした。この経験は、面白さを追求するという私の児童福祉の原点になっています。今、精神的貧困が取り立たされますが、私にはお金があっても居場所のない孤立している子の方が悲しそうに見えたし、そこで“貧乏”と“貧困”は全く別物であるということを身をもって体験しましたね」

その一方で、自分の力が及ばない厳しい現実も目の当たりにし、「何が正解なのか」「福祉とは何なのか」ということを考え続けた20代だったようです。その時の経験を山下さん自身もまだ整理しきれていないと話す様子に、きっと説明しきれないほどのことを全身で感じた濃い2年間だったのだろうと容易に想像できます。

それから、山下さんは一度福祉から離れ京都へ。バックパッカーで世界を回ったりした後、宮崎に戻って来られ、2011年に発生した東日本大震災を機に児童福祉に再び戻ることになりました。

△山下さんが若い頃の写真

「遊び」は本来の自分をよみがえらせるもの

宮崎に戻ってきた山下さんが勤めたのは、社会福祉事業団。そこで再びこどもたちに関わることになり、時に悔しい思いをすることもあったと話す山下さんですが、ある記事との出会いでプレーパークの存在を知ることになります。

「初めてプレーパークの存在を知ったのは、子どもの養育環境を専門とし、臨床心理士である武田信子さんという方のある記事でした。その記事は、“そのエプロンは誰のため?”というタイトルで、今もはっきり覚えています。そこに“プレーパーク”というワードがあり、調べてみると、“遊び”はこどもたちの生きる力を養うと書いてあって。すぐにこれだ!と感じたんです。こどもたちの権利を守るために、法律や制度を変えるのはとても時間がかかるけど、こども自身が今の社会を生き延びる力はプレーパークで育っていくと確信しました

それから、宮崎にプレーパークがないことを知った山下さんは、福岡でプレーパークをしている団体の講演を聞きに行くなど猛勉強し、2015年に「宮崎冒険遊び場ひみつきち(現ヒミツキチ)」を発足。すぐにプレーパークを始めました。山下さんは、この部分をかなりサラッと話してくださいましたが、プレーパークの立ち上げには、相当な行動量と努力があったに違いありません。その原動力はどこから湧いてきたのでしょうか?

「それは、小さい頃からの問題意識があったからでしょうね。神様っているの?みたいな。そのもっと奥に自分の中のテーマがあるんですが、もし“人間のさが”みたいなものがあるとしたら、こどもの頃からたくさん遊んできた私としては、“遊び”が不可欠だと思ったんです。私たちがこどもの時は、丸見えの罠で鳥を捕まえようとしたり、木登りしたり、何でも遊びにしてくだらないことばかりやっていたじゃないですか(笑)。でも、データによると、1995年以降に生まれた世代頃からだんだん遊ぶ文化がなくなっていったようで。今のこどもたちって、学校や塾や習い事なんかで本当に忙しい。本来、こどもは遊びたいという衝動があるはずなので、そういった子たちを見ると辛い気持ちにもなりますね」

△ヒミツキチHPより(https://himitsukichi.org/activity.html

現在は、宮崎市の「小松台プレーパーク」の他、高岡町の「むかさこどもの居場所フルフル」、「森のがっこう」、さらにはプレーワーク研修として人材育成も実施している山下さん。「遊び」は、ただ楽しいだけではなく、本来の自分に還っていく感覚でもあると語ります。

「プレーパークに来る子の中には、学校に行けていない子もいますが、自分の気持ちをうまく言語化できない結果が身体に現れているので、その感覚は大事にして早くケアしてあげたほうがいいと思っています。自然の中で遊ぶと、元気になるのも早い。外は、自然の脅威も感じるけど癒されるし、何より“遊びたい”というのはこどもの本能なんです。身体が拒否反応を示しているのに、我慢して行きたくない場所に行き続けると、無気力になっていくこともある。みんな自分の気持ちを抑えていい子であろうとするけど、いい子でいなくていい。どろんこになったり、木登りをしたり、くだらないことをしたり、自然の中で遊ぶのは、無垢な赤ちゃんのように本来の自分に還っていく感覚に近いのかもしれません」

山下さんは、この感覚はこどもだけでなく、 大人になってからでも取り戻せると話します。

「今の若い子たちもそうです。本来の自分じゃなくなりながらも当たり前のように大学に行き、大企業に就職して、自分が何がしたいのかもわからないまま生きていく。そうやって大人になるとしたら、辛いだろうなって思うんですよね。私たちは、こどもの遊び場をつくっていますが、やはり大人が社会を変えていかないといけないというミッションもあって。大人社会を変えていきたいという目標はありますね。本来の自分をよみがえらせるのは、時間はかかるかもしれないけど、私はいくつになっても遅くないと思っています」

みなさんが10代、20代の若い時、こんな話をしてくれる大人がいたでしょうか。もしこんな大人が近くにいてくれたら、どんなに心が緩んで安心できただろうか想像せずにはいられません。

「PARK」を三股から全国のモデルに

さて、そんな山下さんとコミュラボの出会い、気になりませんか?
最初のきっかけは、タテヨコナナメのデザインがかわいいなと思ったことからつながっていったそうです。

「高校の時、美術大学に行くのを諦めたと話しましたが、実は大阪にいる時、デザインを勉強するため社会人になってから大学に入ったんです。なので、デザインは自分でもやってきた部分ではありますが、タテヨコナナメのデザインをはじめ、コミュラボのデザインがすごくいいなと思っていて。そこからある会議でコミュラボの所長と出会い、つながっていきました。去年のよる学校全校集会にも参加したのですが、面白いこと大好きなので、もうウキウキしちゃって。コミュラボと関わる中で、デザインで社会や福祉は変えられるんだという可能性をすごく感じましたね」

今回、三股町に山下さんが立ち上げた「PARK」のデザインも自らが手がけたものです。

△シンプルなのに遊び心とかっこよさを感じるデザインのフライヤー

「PARK」は、15歳〜20歳くらいまでのユース世代のための居場所で、8月にオープンしたばかりの場所。山下さんは、この「PARK」を全国のモデルにしたいのだと話します。

「“PARK”は、コミュラボの土壌があったからできた話なんです。私は、屋内外問わず、こどもの気持ちをわかってくれる専門家みたいな人が地域にたくさんいたらいいなと思って活動しています。それをコミュラボの所長に話した時、共感してくれたんですね。それから、三股町でのプレーワーク研修やプレーパークにつながっていきました。すると、三股町にはいろんな居場所があるけど、高校生世代のための居場所がないということがわかったんです。高校生のサポートは、私たちもずっと課題を感じていた部分なので、もし三股町に高校生世代の居場所ができれば、必要な時はプレーパークもあるし、何か問題を抱えていたら必要な支援につながる仕組みや活動がこの町にはある。だから、ここなら全国のモデルになれる可能性を感じました

コミュラボの私たちも、山下さんと出会えたことで、こどもに寄り添えるような大人の人材育成を行うことができたり、体験プレーパークから「ゆう学校」につながったりと、新しい風が吹いていることは間違いありません。「PARK」を通して、どんな新しい出会いがあるのか、私たちもとても楽しみにしています。

最後に、遊びが大好きな山下さんへ何をしている時が一番楽しいのか尋ねてみると、しばらく考え…

「くだらないことを思いついちゃったとき!」と大笑い。そんな様子に、こちらもつられて爆笑。

自身をおとなしい性格と説明されていましたが、いつもプレーパークで見せているであろう山下さんの無邪気な一面を垣間見れたような気がして、とても嬉しい瞬間でした。

大人になると、思いっきりはしゃいだり、笑ったりすることって、少なくなりませんか?
でも大人だって、くだらないことで笑って遊んでいいんですよね。今回の取材では、そんなことを改めて感じさせていただいたような時間となりました。実は、何気ない日常の「くだらない」の中に、「遊びの種」や「豊かさ」みたいなものが潜んでいるのかもしれません。

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