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vol. 039

連載「津崎忠文の3.11」走りに走った60,000キロ前編 No.2

date

2022.01.11

Writer

津崎忠文

profile

津崎忠文

ライター

私がボランティア登録されて最初の仕事が被災地への物資輸送でした。
登録されたその日の午後8時に召集があり午後 11 時には東京の大塚を出発するというあわただしさです。

 2トントラックに満載された救援物資を、仙台、石巻、女川、気仙沼の拠点まで届けろという。それまで東北といえば仙台までがせいぜいで、しかも電車でしか行ったことがありません。今回は気仙沼まで、しかもトラックで、ひとり運行です。事前の説明に、被災地は道路事情が悪くルートが定まっていないので、情報も同時に集めてきてほしいということで、かなり緊張していたのを覚えています。

池袋 IC から首都高を経由して東北自動車道を走るわけですが、夜中の運行ですから大型トラックしか走っていません。トラックがひきおこす風圧に耐えながら、明け方にはなんとか仙台に到着しました。

東北自動車道をおりて拠点まで、地図を頼りにどうにかこうにかたどり着き、事務所に行くと、「ん!」 黒髪の(魔法使いのようなしわだらけの)メキシコのおばちゃんが起きてきて熱いコーヒーを淹れてくれました。「魔法の飲み物」ほおっと一息ついてさて、荷物を降ろそうと荷ほどきをしはじめると、どこからかわらわらと集まってきたフォーリナーの一群。ほとんどが寝起きのジャージーアメリカン。それでもみんな朝から愛想が良く、私は「Call me Zack!] と叫んでました。この日から私の中でフォーリナーに対する距離感がぐっと縮まり、みんな [Zack!] [Zack!] あっちでも「Zack」こっちでも「Zack」この中にはハリウッドの ( 売れない ) 俳優もいたんですよ

ひとり UK の女性がいました。この人だけは「Tsuzaki san」と呼んでくれてその後は終生の私の親友になる人ですが、活動の期間は付かず離れずそばにいてくれてそのさき1 年間ともに活動をすることになります。

次の石巻はその頃はまだ拠点がなく、小高い公園に無数のテントを張り巡らして活動していました。ここもフォーリナーが多く、あまり統制が取れていない感じがました。地震からまだ間がなかったのでしょうがないことでしたが、この時点でこれだけの外国の人たちが被災地にいることに私はとても驚きました。外国の方のボランティア精神の高さを垣間見た経験でした。

(中編につづく)

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