CDLマガジン
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vol. 112
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コミュラボ
ライター
「今日?もちろん行ってきたよ!」
と明るく話すのは、三股町ペタンク協会の元会長、平部 雅啓(ひらべ まさひろ)さん(87歳)です。
陸上のカーリングと称されるペタンクは、フランス発祥のニュースポーツ。三股町では、平部さんたちが2002年に三股町ペタンク協会を発足し、なんと今年で21年目になります。
現在も火曜・水曜・木曜の午前中、三股町7地区分館にて実施されているペタンクに今も欠かさず通っている平部さん。
三股町にペタンクを広めた第一人者とも言える、平部さんの生い立ちに迫りました!
平部さんは大阪府で生まれ、幼少期は、両親の仕事の都合で和歌山県に住んでいたそう。
平部さんが子どもの頃は、まだ第二次世界大戦中真っ只。空襲になると、毎晩のように米軍のB29爆撃機が家の上を飛んでいたと言います。
「めったに近くには爆弾は落とさんかったけどね。大阪とかあっちの方には爆弾を落としよったけどな」と昨日のことのように戦時中の頃の話をしてくれる平部さん。
終戦後は、母親の故郷である日南市南郷町に一人で移り住んだんだそうです。
「10歳くらいの時ようやく終戦になってな。親戚のおばさんがうちに来てくれたわけ。その時におばさんが、白米のおにぎりを10ばかり持ってきて食べさせてくれてな。その時代は、おかゆすら食べられない時代だったから、それがあまりにもおいしくて。ピッカピカに光っていたのを今でも鮮明に覚えてる。私は5人兄弟の長男なんやけど、俺はもうおばちゃんと帰る!って言って、飯につられて日南に一人で着いて行ったんだよ。今じゃ笑い話だけどな」
と臨場感たっぷりに笑いながらが話す平部さん。半年後には他の家族もやってきたそうですが、一人で遠く離れた親戚の家に着いて行ってしまうほど、当時の平部少年にとって衝撃的な感動だったことを想像させます。
そして、中学3年生になった平部少年。大工の親方をしていた父親の影響を受け、父親を超えたいという想いを抱き、宮崎市の宮崎大淀高等学校(現在の宮崎工業高等学校)建築科を受験しました。
「実はその時も面白いことがあってな。当時、受験結果は、地元民以外は翌日じゃないとわからなかった。そしたら友人が、日南から宮崎まで自転車で結果を見に行こうやって言い出して。鵜戸神宮を過ぎたらもう宮崎市だと思って、飛び出したら遠くてよ。15時ころ日南を出て、高校に着いたのは20時。学校の先生もびっくりして、宮日新聞に電話して、なんと翌日の新聞に載ったんよ!受かってたからよかったけど(笑)だから入学してからもよくみんなから可愛がってもらったよ〜」
と、70年以上も昔のことを昨日のことのように鮮明に話す平部さん。記憶力の良さと行動力に驚きつつ、真っ直ぐで人を笑顔にさせてくれるような性格は、子どもの時から変わっていないんだろうなということを感じさせてくれました。
高校を卒業した平部さんは、大阪や東京での建設会社で活躍。なんと一級建築士の資格も取得され、現役時代は朝から晩まで働き詰めだったようです。
宮崎に戻ってきてからは、都城市の建設会社にて65歳まで勤め上げ、退職後、ついにペタンクと運命の出会いを果たします。
「ペタンクを知ったきっかけは、仕事を退職して趣味を探していたとき。県の生涯学習でペタンクを知って、これはいいなと思った。最初は都城のチームに入れてもらったんだけど、やっぱり三股でやらんと意味がないと考えて、最初は3人でこのペタンク協会を立ち上げたんだよ」
現在、三股町7地区分館のグラウンドはとても綺麗に整備されていますが、元々は芋畑だったとのこと。ブルトーザーの操縦ができた平部さんは、ペタンクを本格的に始めるため、この場所を整備するところから実施したのだとか。
20年以上も続けていれば、当時からの仲間は少なくなったと話す平部さんですが、三股町ペタンク協会の実力は、全国大会に3度も出場するほどの強豪です。
平部さん自身も、全国大会に2度も出場されたとのこと。
分厚いアルバムには、しっかりと日付やキャプションが添えられた写真がたくさん保存されていました。
平部さんにとってのペタンクの魅力を伺ってみると、「自分たちのチームが相手の球をパーンと弾き飛ばすやろ。あれが一番の楽しみやな」と試合の時の快感を教えてくれました。
豪快でありながら、マメな一面も持つ平部さんですが、仕事もペタンクも長年極めてこられたブレない姿に、実直な人柄を感じずにはいられません。
最後に、これまで大切にしてこられたことを尋ねてみると、「そうじゃなぁ…」とじっと考え込む姿を見かねて、隣に座っていた奥様がすかさず「信頼だったじゃない」と助け舟を出してくれました。
奥様は、平部さんが若い頃は仕事ばかりで家におらず大変だったと話しますが、仕事や仲間と真摯に向き合う平部さんの姿をずっと近くで見てきたからこその言葉に、夫婦の絆を感じさせてもらった瞬間でした。
そんな奥様も、実はペタンクのベテラン選手。夫婦でトロフィーをたくさん獲得されています。
平部さん自身は、「やっぱり仕事は大変だったよ。母ちゃんも大変やったやろうけど、一番心配してくれるのは、なんだかんだ言ってもやっぱり家内だからね。子どもたちも孫も本当に立派に育ってくれたし、感謝してる。全力でやってきて、自分の人生悔いはない!」
と力強く、今までの人生と家族への想いを語ってくれました。
私も平部さんのように、年齢を重ねても夢中になれる趣味を持ち、自分の人生に悔いがないと胸を張って言えるような生き方をしていきたいと心から思えた今回の取材。
これからも三股町ペタンク協会の活躍と平部さんのご活躍を心から応援しています!
貴重なお話をありがとうございました。