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vol. 126
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コミュラボ
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3月12日(火)は、第4回となる居場所の解剖学を実施しました。
今回は、ひと・ネットワーククリエイター/広場ニストである山下 裕子さんをゲストに招き、「偶然性」から考える人の居場所について探求。居場所の解剖学も折り返し地点に差し掛かり、新たな問いをたくさんいただいた回となりました。
■前回までの振り返り
■ゲスト紹介
ーリアル空間における偶然性
ー世界観を伴った偶然性
■居場所の解剖図バージョン2
■解剖トーク
ー偶然性と内側から湧くジョイ
ー距離感をチューニングする
■次回開催について
前回は、兵庫県立人と自然の博物館の研究員である福本 優さんをゲストに、環境や建物など“場”から考える人の居場所について解剖しました。
公共空間を居場所にするためのポイントや居方など「場」の環境設定から居場所につながるまでをお話しいただきました。過去の内容を振り返りたい方は、下記からご覧ください。
▷第1回レポート/居場所の法則(仮説)はこちら
▷第2回レポートはこちら
▷第3回レポートはこちら
山下 さんは、2007年より富山市まちなか賑わい広場(愛称:グランドプラザ)の運営管理担当として約7年間の勤務を経て、ひと・ネットワーククリエイターとして、各地の場の機運醸成づくりに地元の伴走者的立ち位置で関わる活動を継続されています。
今回の居場所の解剖学の依頼を受けてから、約2ヶ月もの間「偶然性」と「居場所」について考えてくださったと言う山下さん。最近ご自身が気になっているワードやエピソードを踏まえながら、人が居場所と感じるために必要ないくつもの要素をご紹介くださいました。
▼山下さんについてより詳しく知りたい方はこちら
特集 | 人が集まるプレイスメイキング術(ソトコト)
稼働率100%の公共空間のつくり方 広場的空間の研究vol.2[前編]
稼働率100%の公共空間のつくり方 広場的空間の研究vol.2[後編]
まちなか広場と言われるような、人の往来があるところで誰かが活動をしたり、何かしたくなるような場づくりをしている山下さん。
リアル空間においては、前回の福本さんの回でも触れられた、他者を意識できるような「見る見られる」という関係性や「人の往来がある」ということが大切だと述べながら、今回新たに「速度ゼロ」というキーワードも飛び出しました。
「人の往来がある場所に、立ち止まって居てもいいテーブルやベンチがあることがどんな役に立っているのかを日々考えているんですが、人が座ったり滞留する場所の一番の価値は、速度がゼロになることなんですね。人が立ち止まってお互いに速度がゼロになると、当然会話も生まれやすいし、誰かが見つけやすくなる。偶然の出会いみたいなものは、たった10秒違うだけで発生しないけれど、どちらかが立ち止まっていれば、その可能性はグッと上がると思うんです」
さらに、ヒト・モノ・コトが集まっていて余白のある場所を広場的にすることで、ばったり会うという可能性が格段に上がるんじゃないかとも山下さんは話します。
「広場的なものは、たまたま出会った人同士のチューニングの場だと思うんです。偶然そこで出会った人がたまたまおしゃべりをするとか、話さなくてもお互いを認識して距離感を保つとか。ただ、そういうところにちょっとでも立ち寄れるということは、時間的余裕がある人が多いのかなとも感じます。時間の余裕があるということは、心にも余裕がある時が多いはず。だから、時間がある人同士がばったり合う会えるっていうのは、本当にすごく意味があるんじゃないかなと思いますね」
時間的余裕について触れた山下さんは、これからの社会は余暇が増える一方だと感じており、これからは世界観を伴っていることで偶然性の質がより高まるのではないかとも語ります。
「考え込む必要はないにしても、その余暇的な時間が少しでも楽しくあるといいですよね。もし、その地域らしさや、私らしくさらにあなたらしさの結果が多様性だすると、お互いが自分の世界観みたいなものを伴った上で偶然がまちの中で出会った時、まちというものがちゃんと目的を持ったものとして、存在を伝えやすくなるのではないでしょうか」
最後に山下さんからは、上記の茨木のり子さんの詩を引用し、安全安心の日本社会の中で、果たして自分はどうあるべきなのか、世界観を磨き合うために何があったらいいのだろうかという深い問いかけをいただきました。
この第4回を迎えるにあたり、コミュラボ側でも解剖図を一度見直す必要があるのではないかと考え、今までお馴染みだった居場所の解剖図バージョン1を、過去の解剖学を踏まえてアップデートしました。
アップデートされた解剖図は「STAGE」という表現や「居場所未満」という部分がなくなっていることがわかります。どのように変わったのか、居場所が生まれるまでを時系列で見てみましょう。
①何もない状態
とある地域で、何もない状態がある。
②「コト」を起こす、起きる
そこで誰かがことを起こすと、場所という範囲が生まれる。
例えば、こども食堂を公民館で始めたとき、ただの公民館がこども食堂になる。
③タッチポイントの発生
場所という輪郭ができると、コトや場所からそのプロジェクト(P)にタッチポイントが生まれる。「場」の性格みたいなものが外に出ていって、人と接続するきっかけになる。
④人との関係性の発生
「場」の性格が出て、タグが発生してくると、人が場所に集まり、その場所に来た人たちの「人との関係」から自認と他認が生じる。
⑤係の発生
自認と他認から「係」が発生。
⑥居場所の発生
自分が心地よい影響を与えられる範囲「場」が自分の中で定義され、そこを居場所だと認識するのではないか。
⑦居場所の性質
雲はメタファーとして、暫時的な存在である居場所を雲で表現している。一つの場所であっても人間関係やエリアによって居場所となる雲は多発する可能性があるが、自認できる「係」を失うとすぐに居場所ではなくなる性質を持っている。
居場所に必要な要素として「人」「場」「係」があるのではないかという仮説は変わっていませんが、居場所の解剖図ver.2では、時系列的な視点を踏まえ、同じ場所から居場所が複数発生する可能性を含めたものへとアップデートされました。
この新たな解剖図と山下さんの「偶然性」という視点をもとに、いよいよ解剖トークに入っていきます。
解剖トークでは、前半は偶然性の輪郭のようなものについて深掘りしていきました。山下さんは、広場の良さについて、一番気に 入っているところは通りすぎることができる点だと語ります。
山下「広場がいいところは、閉じられた会議室なんかと違って逃げ場があるんですよね。自分に最終選択肢があるというか。広場的な場所であると、見る見られるの関係性があるので、今日はやめておこうとか寄ってみようというジャッジが自分でできる。良い意味で自分中心で在れるのではないかと思っています」
さらに、偶然性が発生やすい条件について伺うと、山下さんは白いベンチの写真を見せてくださいました。こちらは、今回の解剖学の配信日に、コミュラボのある宮崎県三股町を訪れていた山下さんが、三股町で偶然発見したというベンチです。
パッと見ると、なんの変哲もないベンチですが、山下さん的視点で見ると、この白いベンチで待ち合わせができるなとすぐに感じたそう。そのポイントは、眺めがあってロケーションがいいこと、後ろから誰かに襲われる可能性が低い(この場合は畑になっている)という2点。
山下さんは、そういった視点から、座ろうか座らないかを選択しており、生き物の本能としてとてもいいベンチだと感動したと話します。
ここまで山下さんの話を聴いていたデザイナーの平野は、山下さんの言う偶然性みたいなものは、子どもが道路に丸を書いて遊ぶ「ケンケンパのような感じがするとグラフィックを操作しながら話します。
平野「山下さんのお話は、ここを登れば居場所になるというより、もっと前段階のお話のような気がして。ケンケンパで遊ぶ子どものように、楽しそうにしているうちに、偶然ある場所にたどり着くようなイメージを受けましたね」
山下さんは、この見解に同意しながら、建築家であるルイス・カーンの「ジョイ」という言葉を引用し、クリエイティブなことが起こる本質には、内側から湧いてくるものが原動力としてとて重要だと思っていると語ってくれました。
私たちは、これまで社会的居場所に焦点を当てて居場所の解剖を進めていましたが、山下さん的な視点で見ると、居場所は社会的居場所であると同時に、一人でも心地よい個人的居場所にもなり得るような気がしてきます。それを山下さんの言葉で表すと「チューニング」という言葉になるのかもしれません。
山下「会話を交わさなくても、同じ空間にいると他者から感じることってたくさんありますよね。チューニングしても合わない人はきっといるだろうから別に全員と話をする必要はないと思っている。要は、チューニングするだけの人との距離感や時間を確保できるかどうかが大事なんです。その距離が保てることで、もしかしたら話を始めることにもなり得るかもしれないしね」
山下さんによると、距離感を保つにはある一定の広さは必要ではあると言いますが、チューニングできる距離感や時間をつくることで、人口規模やハード面の環境に関わらず、広場的空間を作れそうな気がします。さらに、解剖トークが終盤に差し掛かった時、その距離感というものは自分無くしては語れないと「個」について話が及びました。
山下「世界観みたいなものが近しい人というのは、年齢とかそういうこと全く関係なく多分たくさんいるんだと思うんですね。そういう人に出会えることがこれからとても大事だし、だからこそチューニングできる広場的空間が大事だと思っています。“みんなで”とか“私たちの”前に、“私”っていう存在をもっと自分自身が知ったり感じたりする必要がある気がします。そうでないと、距離感というものは自分無くしては測れないから。だから最後の言葉をあえて紹介しました」
最後の言葉というのは、上記ゲスト紹介部分の最後のスライド。茨木のり子さんの「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」という詩のことです。とても強い言葉ですが、「自分」や「個」の在り方のようなことを改めて考えさせられた時間となりました。
第4回目の居場所の解剖学は、これまでとはまた一味違った角度から「居場所」を視ることができたような気がします。もしかすると、直接的な人間関係だけでなく、会話がなくても人を感じることがあったり、例えそこに人がいなくても時差で人の存在を感じたりなど、人が対峙していない関係性も人が居場所と感じる一つの要素としてあるのかもしれません。
居場所になりやすい要素の仮説として、「人×場×係」が定着しつつありましたが、それ以外の表現が何かもっとあるのではないかと、より追求したくなるような回となりました。今回いただいたたくさんの良質な問いを探究し続けながら、後半に向けさらに醸成させていきたいと思います。
次回の居場所の解剖学、2024年4月22日(月)です。
第5回は、生活介護事業所 ぬか つくるとこ代表の中野厚志さんをゲストに、「ユニークから考える人の居場所」を解剖します。
「なんでそんなん」というツッコミどころであったり、ユニークの見つけ方のコツみたいなものが発見できるかもしれません。
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