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vol. 185

自由を愛し、世界を旅した歩き人。地域で見つけた新しい旅路

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「5歳の時、10km離れたばあちゃん家まで歩きたいと思ったんです」

そう語るのは、タテヨコナナメスタッフとして、ひる学校よる学校で子どもたちと関わる「まーぼー」こと松田 正俊(まつだ まさとし)さん。一つ前の記事で、台風の最中100kmマラソンを完走し、過去には世界5大陸を歩いて旅した延岡市出身の歩き人です。今は本業がありながら、子どもたちとドッジボールに興じる日々を送っていらっしゃいます。
一見バラバラに見える彼の人生の断片。しかしそこには、自由を愛するまーぼーの太い軸が通っていました。

求めたのは「圧倒的自由」

──5歳で10kmの挑戦をしたとはびっくりそれが今につながる原点?
松田:覚えてないんですけど、親がこっそり自転車でついてきてたらしいです(笑)。結局3.5kmあたりで止められましたけど、小学校に上がってからも「ばあちゃんちまで歩きたい」と言い続けていて。小学5年生の時に初めて両親からゴーサインが出て歩き切りました。あの達成感は今でも覚えてますね。

── そこからどんな学生時代を歩んだんですか?
松田:自分は、少しあまのじゃくなところがあって。子どものときは、みんなが騒いでいるときに一人で本を読むとか、みんなが静かだったら目立ってみるとか。基本的に人と違うことをやりたい子どもでした。それは今も変わっていないかもしれません。10代の頃は、ゲームや登山をして、大学は滑り止めの滑り止めで受かった山口県の水産大学に進学。かなり寮が厳しかったんですけど、そこに面白さを感じて厳しそうな自衛隊に入隊しました。

── 厳しいのが面白いとは、まーぼーらしい(笑)。そこからどうやって世界を歩くことになるんですか?
松田:陸上自衛隊だったんですが、やはり自由がきかない組織生活で2年で辞めました。すると、上司が『自転車で日本一周したら?』って言ってくれ、実際にやってみたんです。そしたらすごく面白くて。それから歩いて日本縦断を3回、オーストラリア、ユーラシア大陸、アメリカ、南米など、合わせて約44000km歩きました。

△アンデス山脈を超えチリに入る道路

── すごすぎる!世界を歩く中で印象に残っていることはありますか?
松田:やっぱり最初に歩いた海外の国、オーストラリアですかね。満天の星空のもと道路の真ん中を歩くんです。あの静けさと星の美しさは忘れられません。

── 危険なことはなかったんですか?
松田:実は、コロンビアで死にかけたことがありました(笑)。夜中にテントで寝てたら、棒で全身ボコボコに殴られて。意識が朦朧とする中『ああ、死ぬな』って思った瞬間、不思議と『いい人生だったな』って思ったんですよね。命が助かったのが本当に奇跡。その時持っていた荷物は全部なくなってたんですけど、一つだけ地面に“お守り”が落ちてたんです。それが、オーストラリアで出会った日本人の女の子がくれた手作りのもので、今でも大切に持っています。

△実際のお守り

── 映画みたいなエピソード。生きててよかったです…そんな危険な目に遭いながら、何がそんなに夢中にさせるのでしょうか?
松田:うーん、それは圧倒的自由ですね。朝起きたら『今日は夜12時まで歩こう』とかって全て自分で決められる。最初に日本を歩いた時は、楽しすぎて毎日泣いていました。世界を歩いては帰国して、お金を貯めてはまた歩くという日々を送っていたんですが、コロナ禍になり、自分の中でもやり切った感もあって、宮崎に戻ってきました。

△モンゴルの道。何もないところを歩くのは気持ちがいいと語る。

自由の先に出会った地域活動

──そんな自由を愛する人が、なぜ今、三股の地域活動に?
松田:ある時、高校の同級生のつながりでタテヨコナナメのメンバーと出会ったんです。そしたら『ひる学校に来ませんか?』となり。それまで地域との接点はなかったんですけど、面白そうだなと思って関わるようになりました。その後、自然とよる学校にも参加。帰国してからは、仕事して帰って、飯食って、読書して…を繰り返す日々だったのが、少しずつ生活が変わっていきましたね。

△実際に歩いた国を示した手づくりの巨大世界地図

──どんなふうに変わっていったんですか?
松田:俺、子どもの頃からドッジボールがめっちゃ好きで(笑)。またしたいってずっと思ってたんです。そしたら、こんなに思いっきりドッジボールができる環境があるって感じで、よる学校で全力でやってます。子どもたちより楽しんでるかもしれない。仕事が火曜・木曜休みで、毎週火曜日にひる学校、火曜・水曜・金曜はよる学校でドッジボールしてます。この時間は、自分にとって完全な休みの時間なんで、遊びに行ってる感覚なんですよね。

△ドッジボールを楽しむまーぼー

──いつも本当に楽しんでいるんですね!
松田:小学2年の担任で本気で投げてくれる先生がいて、ボールがすごく速かったんです。取れるか分からないから面白い。ドッジボールしてるとあの時の熱い日々が思い出されるんですよね。だから自分も本気になって、今の子どもたちが大人になった時に、『あの大人、本気で投げてた人いたな』と、ちょっとでも懐かしく思い出してくれたら嬉しいと思って。

──確かに私の学校にもそういう先生いました(笑) なぜよる学校に通いたくなるんでしょう?
松田:やっぱり、自由なのが最高なんですよね。小さい頃からピアノが家にあったので、たまに触ったり離れたりを繰り返してたんですけど、最近ピアノにもハマっていて。火曜日はピアノも弾けるし、ドッジボールもできる。金曜日は、自分の好きな音楽をガンガンかけたり。子どもに返ったような感覚なのかも。

△ひる学校スタッフとしてまーぼーも参加した竹取フェス

──いいですね。お仕事の一つとして、塾の先生もされているんでしたっけ?
松田:はい。週に1~2回だけですがやっています。それも、たまたま塾講師募集の案内チラシが郵便受けに入っていたので、好奇心で応募してみたのがきっかけでした。思い返せば、子どもの頃から友だちに理科や数学を教えるのは好きではあったんですよね。でも、この前ふと思ったことがあって…

──と言いますと?
松田:塾に来る子どもたちは、受験対策でくる子が多いんですが、勉強が好きな子もいれば、嫌いな子もいる。受験戦争で勝つためには、そんなの関係なしに、学校でも家でも塾でも勉強しなくちゃいけない。この多感な大切な時期に、それってすごくもったいないなと思ったんです。自分は、勉強が好きな方だったからやってたけど、無理やり嫌いなことをやる必要はないと思う。学校や塾は選択肢の一つでしかないんですよね。俺は、子どもたちに好きな事をやって欲しいし、そこを伸ばしてほしい。それは、親を含めた周りの大人にも、彼らの強みを伸ばしてもらえるような関わりをしてもらえたらいいなと思います。

──熱がこもってますね!
松田:実は、俺が先生になったら面白いんじゃないかなって思ってたんですよ(笑)。俺の兄貴が小学校の先生なんですけど、毎日本当に楽しそうに仕事してて。そんな兄貴の姿を見て、先生もいいななんて思ってたら、自分も違う形で子どもに関わってるんで不思議です。ひる学校やよる学校のいい感じの“ゆるさ”が自分は好きなんですよね。

──いろんな子どもたちに関わっていると思いますが、彼らにどんなことを伝えたいですか?
松田:うーん、型にはまらなくていいよってことかな。人に迷惑かけなければ、もっともっと自由でいいんじゃないかなと自分の人生を振り返っても思います。俺自身、『普通の人生』が嫌で、やりたいことをやってきた。そうやって、世界中を自分の足で歩いてきたことが自分の自信になっているのかもしれません。

みまたんダービーで競走馬として出場した時の様子

──最後に、これからやってみたいことはありますか?
松田:短期的には、なんでもやってみたら楽しめるので、なんでもしてみたいです。アフロ被ってウルトラマラソンとか(笑)。長期的には、今まで歩いたところ(シルクロードや、オーストラリア、南米)を断片的でいいので、また行ってみたい。中南米に、もう一度見たい景色があるんです。でも、今は日常が面白いので、それはそれで最高です!

旅はこれからも続いていく

現在、世界を旅することを一旦休んでいるまーぼーですが、世界中を歩いていたときと同じように、今も彼は、自由を求めて歩み続けているのかもしれません。
「命懸けで旅をしたから自信になっている」
その言葉には、いくつものピンチを乗り越えてきた人だけが持つ、静かな強さがにじんでいました。
そんな彼とドッジボールを楽しみたい人は、ぜひよる学校へ。

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