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vol. 048

連載「津崎忠文の3.11」最終回 被災地でのドラマ 

profile

津崎忠文

ライター

 

 

私の 3.11 レポートは今回で終了です。連載中お付き合いいただいてありがとうございました。ここに掲載したものはほんの一部でしたが、1年2ヶ月の間にはほんとうにさまざまなことを体験させていただきました。それが、それ以後の私の活動の原動力になったのはとても幸いなことでした。

忘れられぬ出来事はまだまだたくさんあります。


 
 石巻の北上川河畔で目撃した、タイから来られた仏教の高僧の方が、朝から夜まで座禅を組んで震災の犠牲者に鎮魂の読経をあげられていた光景。そのショット写真に写り込んでいた無数のオーブ。まるで高僧を取り巻くように写っていました。


 また、おなじ石巻で、私たちの拠点としてご自宅をお貸しいただいた老人。津波に巻き込まれ、必死で柱にしがみついて九死に一生の経験をされたのに、私たちをあたたかく迎え入れてくださいました。しかも、その後は私たちと行動を共にし、各避難所へのボランティア活動をされました。


 気仙沼の山中の倉庫で、避難所からの受け入れを拒否されたペットたちを集めて、ペットの避難所を開設された人。たくさんのペットの世話に明け暮れていたところをわたしたちも手助けすることができました。早朝の散歩のお付き合いでしたが、犬が相手のホッとする活動でした。


 真っ暗闇の被災地道路を真夜中に東京へ向けて走っていた海岸ぺり。背筋が凍るような、高く悲しげな女の人の泣き声とも聞こえるような叫び声。誰かを失ったのかもしれません。トンネルに浮き出た日傘をさす女性もまたわたしの思い過ごしかもしれません。


 津波で電力の供給が断たれ、冷凍倉庫に保管されていたおびただしい魚たちが一斉に腐敗し始めた夏、気仙沼市内に悪臭が立ち込めていました。ある人の音頭で気仙沼EM 菌浄化作戦が動き出しました。私たちは毎日市内に出て、EM 菌を撒き続けました。結果として早い段階で市内全域は浄化されました。


 このようなことは日常的にあちこちで起こっており、たくさんのボランティアたちがそれに関わっていたのです。路上の端々でドラマが起こっていました。

 

2012 年 5 月 私たち夫婦と猫1匹、ひっそりと東京を離れ、車であちこち回りながら故郷の宮崎へかえってきました。


 帰ってきたのはいいのですが一度も住んだことのない三股町。ひとのつながりは親戚だけというまったくの1からの出発でした。そして、地に足がついたのが6年目。すこしずつ友人が出来始め、そこで加わったのが傾聴ボランティアの活動でした。
 

 傾聴サロン、子ども食堂、宅食の仕分け・配達への協力、学習塾、不登校生徒へのアプローチ、地域活動・よる食堂、地域のみまもり・映画上映会、古民家リノベーション、などなど今ではたくさんの活動に関わらせていただいています。


 生きることは未熟な自分との闘いであり、それは決して終わりのない旅だと思っています。私にとって、何をしたか、どれだけ成功したかは意味のないことで、自分が一人ではないことを知っているし、人と人とは元来つながっているものだと思っています。自分は他者であるし、他者は自分です。
その証拠に、たびたび人は他者からの言葉や行動から自分を知ることがあります。

 わたしにとって大切なことは自分の行動が人のよろこびや笑顔をとおして自分に跳ね返ってくることです。人の笑顔が私の喜びであり、私の目指すところです。


 私は未熟さが多い自分との闘いのなかで自分の喜び、幸せを今後も模索していきます。そして、共に戦い続けていく人たちを心の友として生きていきたいと思っています。


 みんなに デクノボウとよばれ ほめられもせず くにもされぬ ソウイウモノに ワタシは なりたい


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