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vol. 037

連載「津崎忠文の3.11」 サックスからボランティアへ No.1

date

2022.01.06

Writer

津崎忠文

profile

津崎忠文

ライター

 2011 年 3 月 11 日 僕は東京郊外の東久留米駅前のとあるカラオケボックスの地下にいた。
その2年前に始めたアルトサックスを抱えて課題曲の練習に余念がありませんでした。
プロの新進ジャズプレイヤーの「西本康朗」教室の一員で前年の発表会ではルパン3世を演奏してサックス欲がいやおうなく高まっている時でした。

 一人練習が佳境に入った頃の午後14時46分.。


それは突然起こりました。地面を突き上げるような衝撃の後の長い長いよこゆれ。
長い人生ではたくさんの地震を経験してきました。多少のゆれでは驚くこともありませんでしたが、「これはちがう」 とたんに胸がざわつきました。動けない!ビルの壁がミシミシと騒いでいる。
自分が地下にいて、生き埋めになる可能性が頭をぐるぐると駆け巡る。
Sax と頭とひざをかかえて部屋の隅にうずくまりました。


 長い長いゆれの後、地下から地上に這い上がったのは20分後くらいでしたか、さだかには覚えていません。地上に出た時の明るさと開放感。 心臓の鼓動はまだ続いていましたが、安堵感がどっと押し寄せ譜面台、楽器ケース、教本を忘れていたことを思い出し、おそるおそる地下までとりに戻りました。


 僕がかつて経験したことが無いような地震は関東から東北までの広い範囲で大きな災害を起こしました。そして僕の脳裏に、忘れることができない阪神淡路大震災の原体験がよみがえってきました。


 1995 年神戸市長田区の恐ろしいような光景。火災の後の中身が燃え尽きた真っ黒でがらんどうなビル群。それはまるで卒都婆のようにも見え、墓場のようにも見えました。なかば物見遊山的な軽い気持ちで参加したボランティア。浮ついた気持ちはその後の 10 年間僕をさいなみ続けました。


東北の地震の映像をテレビでみていて、いてもたってもいられなくなり、つてを頼り、ボランティアに参加したわけです。
 

 あれから11年目を迎えようとしています。東北の被災地はなんとか復興されつつあるようです。
しかし、あの時から人生がガラリと変わってしまった人たちがたくさんいらっしゃいます。
今なお癒えぬこころの傷をかかえて、それでも懸命に生きていらっしゃる人がいます。
10年の間に人々の関心はうすれ、歴史上の記憶の中で整理されようとしています。
僕は1年2ヶ月のボランティア活動を通して現地でのさまざまな事を見聞きしてきました。
僕の経験などは未曾有の大震災の前ではほんのけし粒ほどにも感じられないかもしれませんが僕はいつまでもこのことを伝え続けなければならないと思っています。簡単に風化させてはならないとも思っています。


今回コミュニティー デザインラボさんから機会をいただいて被災地での出来事をお伝えできることはとても有難いことです。
この際なのであまり深刻にならないでエピソード的なできごとを報告していきたいと思っています。


次週は第1回目「走りに走った 60,000 キロ」をお届けします。See you soon!

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